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2009年7月 6日 (月)

裕次郎さんのやりたかったもの

 石原裕次郎さんが二十三回忌を迎え、大がかりな法事はこれを最後にするということで、テレビでもいろいろと特集番組が放送されている。

 当然ながら、石原裕次郎さんの映画スターとしての全盛期はわたしの生まれる前のことである。テレビドラマは世代であるが、それほど熱心に観たわけではない。
 それでも、日本テレビ系の『太陽にほえろ!』は一時期お化け番組とも呼ばれた大変な人気であったから、斜めには観ていた。観なければならない理由があったからである。

 要するに、小学生の頃、みんながみんな『太陽にほえろ!』を観ていたため、これを観ないと特に土曜日の学校での話題に入れなかった(『太陽にほえろ!』は金曜日の20時からの放送だった)のである。わたしはアクションものとか刑事ものとかは好みでないので、とりたてて観たくもないのだが、義務的に観ていたのである(わたしは同様の理由で『帰って来たウルトラマン』も義務的に観ており、その回の怪獣の名前と特徴、ウルトラマンの決め技だけメモして寝るような子であった)。
 『太陽にほえろ!』の初期は、それほどの人気ではなかったし、裏番組のNHKドラマ『天下御免』を観ていた(これがまた当時としてはめちゃくちゃ斬新な実験的ドラマだったので、よほど面白かったのだ)。だから萩原健一さん扮するマカロニの時期は全く知らない。
 観るようになったのは、松田優作さん演じるジーパンの時期からである。この頃が恐らく視聴率も最も高かったと思われ、終了から二十年を経た現在もなお頻繁にパロディ・オマージュがなされるこの番組も、準拠枠としてはジーパンかその後のテキサス(勝野洋さん)時代を念頭においたものが多い。

 そのドラマ内で、七曲署捜査一係長(ボス)を演じていたのが裕次郎さんであるが、その頃既に少々肥満気味であり、でんと席に坐ってあまり現場にも出なかったので、何だこのおじさんは、と思っていた(おじさんと言っても、番組開始時の裕次郎さんが三十歳台だったことに今となっては驚くのだが)。友人にお父さんが刑事という奴がいたが、訊いてみると、いくら係長でももっと動く、とのことだった。
 このお気楽そうな太ったおじさんのイメージが一変したのは、夜遅い時間の歌番組を観た時であった。
「わ! ボスが歌ってる。なんで?」
 思わず叫んだわたしに、母は意外そうに、石原裕次郎という人がいかに大スターであるかを教えてくれた。わたしはそんなことは承知のうえで観ている、と母は思っていたのだ。

 その後徐々に裕次郎さんの偉大さを知っていったわけであるが、若いころの映像を見ても、背は高くスマートではあるが、決して典型的な美男子ではないし、歌も声はしぶいが格別うまいわけでもない。なんでこの人がそんなに人を惹きつけるのかは、よく分からなかった。

 それが、一昨日のテレビ朝日系の特番を観て、かなり分かったような気がする。
 まず、あまりこれまで観たことのなかった、後に妻となる北原三枝さんとの絡みのシーンなどをたっぷりと観ると、非常に男の色気がある人なんだと感じさせられた。
 それに、石原家は当初は大変裕福な名家だったので、兄の慎太郎さんともどもよくも悪くもぼんぼんであり、庶民には手の届かないハイソな暮らしが嫌味なく身についていた。それが当時のスター像にはまったのである。父の死によって一時石原家は困窮しかけるが、それを救うかのように慎太郎さんが芥川賞を受賞し、作家として身を立てる。そしてその作品の映画化によって裕次郎さんもスターの座を摑む。そんな幸運の星も背負っていた。
 しかも、裕次郎さんは言われるままに仕事をこなすだけのお飾りスターではなかった。北原さんとの逃避行で自分の意志を貫く頑固さもさることながら、映画を作ることになみなみならぬ情熱を持っていった。情熱だけでなく、確固たるポリシーも。
 石原プロを設立して自らの主演で制作した『黒部の太陽』や『太平洋ひとりぼっち』をみても分かるように、一貫して裕次郎さんが描こうとしたのは、「頑張って偉業をなす日本男子の逞しい生の姿」であった。敗戦で欧米コンプレックスに陥った日本人に、誇りを取り戻してほしい、と願ったのであろう。あるいは生家の没落から復興をもそこに重ねていたのかもしれない。いわば「一人プロジェクトX」を映画でやっていたのである。

 が、映画というメディアがテレビに押されて斜陽になっていき、石原プロの経営も危うくなる。資金稼ぎにしぶしぶテレビに進出したのが『太陽にほえろ!』だったわけである。生粋の映画人でテレビの「常識」に縛られない裕次郎さんは、それまでにない刑事ドラマを作り、映画に負けないスケールをブラウン管の中に実現し、大成功した。転んでも砂金を摑む図である。
 そのためには、リアリティは犠牲にせざるを得なかったのだろう。七曲署管内の矢追町なる地域では、毎週のように人殺しが起きる。しかも七曲署は一年に一人くらいの割で刑事が殉職するのだ。あんな物騒な町が実際にあったら大変だ。
 それはともかく、「制作」全体に興味が向いていた裕次郎さんが、自らが中心となって演じるよりも、番組の「縁取り」たろうとした結果が、あのボス像なのだろう。その後の『大都会』や『西部警察』シリーズでも、裕次郎さんの役どころは全体を静かに見守るようなものであり、現場で派手に動くのは渡哲也さんと部下の刑事たちであった。本当は制作に徹したかったのかもしれないが、自分が出演することが、視聴率向上、ひいては資金調達に貢献することもまたよく分かっていたのだろう。
 『太陽にほえろ!』最終回は、裕次郎さんは病身をおしての復帰出演だったが、殉職していった部下たちの思い出を交えながら、命の大切さを懇々と説く長回しのシーンを、台本なしのアドリブで演じた。これはさすがのわたしも胸を衝かれる思いで観た。番組最後のページをしっかりと裕次郎さんが縁取ったのである。

 『太陽にほえろ!』の裏番組で『●年B組●八先生』シリーズ(●に入る字は時期によっていろいろ)が始まると、わたしは専らそっちを観るようになった。
 また、『大都会』や『西部警察』はあまり観なかった。特に『西部警察』はその荒唐無稽さのさらなるエスカレートぶりとその方向がわたしの好みではなかったし、趣味的にはバスや路面電車を粗末に扱う(爆破したり)のが不快だったのである。
 しかしまあ、あんなに早く亡くなるのであれば、もう少し裕次郎さんの姿を観ておけばよかったかな、とも思う。

 なお、誰も絶対に言わないことだが、わたしの狭い見聞に基づく偏見に満ちた裕次郎評を一つ。
 石原裕次郎さんの演じた役のなかで、この上なく裕次郎さんらしさが出ていたはまり役は、わたしが石原プロ制作のドラマのなかで唯一毎回欠かさずに観た作品、『浮浪雲』。その最終回ゲスト出演(かめ(桃井かおり)の兄、つまり(渡哲也)の義兄役。が外で子を作ったらしいことに怒り、怒鳴り込んできた)である。
 このドラマもかなり実験的なもので、番組の最初に「このドラマはフィクションであり、時代考証その他かなりいいかげんです」というテロップが出たほどだ。こういうのはわたしの好みに合う。裕次郎さんは酒瓶を片手に「夜霧よ今夜もありがとう」を口ずさみながら(念のため、このドラマは幕末を舞台にした時代劇である)登場した。漫画が原作ということもあるが、脚本の倉本聰さんの遊び心が冴えていて笑える。
 ドラマもわたしの好みながら、未だに裕次郎さんといえばあのシーンが目に浮かぶ。なんて人は他にいないだろうが、あれが裕次郎の最高峰。これは譲らん。

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