« 看板つっこみ(16)~ 祀られてしまったか | トップページ | 自転車を活かす走り方 »

2009年9月28日 (月)

二千円札礼讃

 二千円札はなぜ流通しないのであろうか。明確な理由が分からない。
 自動販売機等が対応していない、ということで初期は不便であったが、現在の自販機はほとんどは対応済である。JR駅の券売機も、千円札のみ対応という機種もあるが、これの不便さは一万円札と五千円札とに共通している。それ以外は全紙幣に対応している。銀行のATMも、預入にはほぼ全てが二千円札対応である。
 もちろん、対面販売の場合は全く問題ない。忌避されるべき合理的な理由はどこにもないのだ。

 考えられることは、二つである。

  一つには、発行当初に不便だ不便だとマスコミが喧伝したため、二千円札は避けた方がいい、という意識が国民の心の奥底に刷り込まれてしまったことがある。そしていま一つは、「2」が頭にくる貨幣が他になく、新参者であることから、生理的な嫌悪(本能的な異質の排他)を呼んでいることである。
 ローソンなどコンビニに設置されたATMで払出する場合、二千円札が優先して出てくるようになっていた。これは、千円札ばかりを内蔵しておくよりも、同じスペースで多くの金額を用意できるからである。しかし、そのATMで金をおろした客が、レジで両替してくれ、と要求して、トラブルになったり店員の負担増になったりするケースが相次いだために、最近の機種では二千円札が出なくなってしまった。

 わたしはと言うと、財布には常に二千円札が数枚入っている。
 いや、理由などないのだ。一万円札も五千円札も千円札も入っている、それと同じことである。財布に入れない理由がない。
 あえて理由らしきものを言うなら、わたしが二千円札流通促進委員会から「二千円札大使」を仰せつかっている、ということがある。しかしこれも理由とは言えない。大使になったから二千円札を愛用しているのではなく、そもそも愛用していたから、そして他の人が使わないのが無念であるから、と大使を志願したのである。この記事を書くのも、大使としての任務の一つだ(写真右は、大使認定証と、裏面の任務説明書)9702186397021862

 もう一つ、わたし個人の理由を挙げれば、やはり利き手の指先を失ったことが大きい。あの事故以来、特に二千円札を財布に絶やさないようにしている。
 これは、先のコンビニのATMと同じく、千円札ばかりを入れておくよりも、財布が膨らまずに大きな金額を入れておけるからである。それなら五千円札や一万円札でもいいではないか、と思われるだろうが、それは普段支払う額の傾向によるのである。わたしの日常生活では千~二千円の範囲の金額を支払うことが結構多い。
 タクシーに乗るのも、ほとんどがそれくらいの距離だ。それ以下なら自転車やバスを利用できるし、それ以上なら電車のほうが便利なことが多い。定期的に通っている医者の診療費・薬代もそんなものである。外でちょっとランチや夕食となってもそうだ。
 そういう時、わたしの手でお札を複数勘定して払う、というのは時間がかかって、相手や他のお客さんに迷惑がかかってしまう。一枚ならなんとか抜くことができる。もう、端数を硬貨で添えることは諦めている。硬貨と紙幣とを一緒に出すなど、至難である。だから、二千円札が重宝するのである。二千円を超えるようなら、別の仕切りに入っている二千円札と千円札を一枚ずつ抜く。三千円以上になれば、もう五千円札でお釣りをもらう。
 都市部に出たときは、電車に乗るのも買物するのも、電子マネーかICカードかでタッチするだけでいいのだが、地元ではそういうものが使える店がまだ少ない。それで、二千円札を重宝しているのである。
 それと、何と言っても、二千円札はデザインが美しい。彩りが鮮やかである。表に人の顔がないのもよい。これこそわが国が最も誇るべき貨幣ではないか。これをもって、子供用のおもちゃみたいだ、と貶す向きもあるが、紙幣がそういう色づかいになっているのは世界的傾向ではないだろうか。二千円札など、諸外国の紙幣に比べれば、よほど品格があると思うが。

 ただ、二千円札の補充が問題ではある。普通に店でお釣りとして二千円札が出てくることはまずない。以前はコンビニのATMで入手していたが、それもできなくなってきた。そこで、銀行の両替機を利用したり、窓口で預金をおろしたりして定期的に補充している。まあ、何かのついでに寄ればいいのだから、さほど面倒ということもない。
 それと、支払う時に、
「二千円でお願いします」
と言葉を添えないと、相手が固まったり、千円札や五千円札と間違うおそれがあるので、これもまた面倒である。相手が、
「久しぶりに見ましたねえ」
とか、
「まだあったんですか」
とか反応することも多く、それに応対しなければならないのも、面倒ではある。

 しかし、いろいろな金額を過不足なく払いやすい、というメリットは他には代えがたい。二千円札がある限り、わたしは使いつづける。
 皆さんも、怖がることなく、二千円札を積極的に使ってほしい。「人生ゲーム」で二万ドルの約束手形をつかまされたことのある人なら、誰でも使いこなすことが可能である。

|

« 看板つっこみ(16)~ 祀られてしまったか | トップページ | 自転車を活かす走り方 »

9.8  わたしのかたち」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/129332/45436755

この記事へのトラックバック一覧です: 二千円札礼讃:

« 看板つっこみ(16)~ 祀られてしまったか | トップページ | 自転車を活かす走り方 »