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2009年10月 9日 (金)

教師七つ道具(6) ~博文館日記

 教師をやっていると、学級担任というお仕事がある。
 教育実習の時、実習先である大学の附属中学で、初日の講習が行われたが、その中の担任の何たるかの講義で、担当教官がプリントにして持ってきたのは、何と恋愛論の本からの抄録であった。訝るわたしたち実習生に、教官は、わたしが今でも玉条とさせていただいている名言を、言い放った。

「担任する、ということは、クラスの生徒全員と恋愛をすることです」

 恋愛するということは、相手のことを自分のこととして考えることである。それも、四六時中、気がつけば相手のことを考えている。それをクラス四十何人(当時)に対して同時にやるのが担任だ、ということである。
 分かりやすいがこんなに実践が難しいことはない。四十股交際なんて、常人の神経ではできないけれど、それをやってこそプロだということだろう。

 わたしも、担任したときは、できるだけそのように実践してきたつもりではあるが、さて、限られた時間のなかで、その「恋人」たちといかにコミュニケーションをとるかが難題である。わたしは、自分の資質と担当教科の特質を活かした方法をとることにした。
 それが「班ノート」である。所属校のクラスは、四十人が標準なので、これを五人ずつ八班に分ける。この班は掃除当番とかクラスでイベントに参加するとか、あらゆる局面でのユニットになるのだが、この班でノートを一冊回覧する。週五日の授業日で、一周するのである。毎週わたしがお題を出し(お題自由の週もある)、各自が何かそれについて文章を書く。
 各メンバーに曜日を割り当て、月曜のメンバーは週の初めにわたしの所にノートを取りに来る。金曜のメンバーは返しに来る。わたしは週末の間に赤ペンでコメントを記入するとともに、ワープロ打ちする。ワープロ打ちするのは、編集して学級通信を作るためである。学級通信はわたしが書く文章や連絡事項もあるが、主体は学生が班ノートに書いた文章とわたしのコメントである。従って、学級通信は基本的に週刊である。
 わたしが自分に課したのは、班ノートのコメントは必ず学生全員(意味のあることを書いている者)に対して書くこと、そして班ノートに朱書するコメントと学級通信に載せるコメントとは、異なる内容とすること、の二点であった。つまり、単純計算で一週末に八十コメントを考えて書き、学級通信(B5裏表)を編集することになる。
 こう書くと、ものすごい重労働に思われるかもしれない。が、こんなブログをやってるくらいだから、文章を書くこと自体はさほど苦にはならない。作文が苦手な昨今の学生に、国語の作文以外にこれだけの負担を課するのだから、わたしもこれくらいはしないと、学生にしめしがつかないし、フィードバックがないと書いてはくれなくなる。
 量的な負担よりもむしろ、教育的な観点から最適のコメントとなるよう、慎重に内容を考える質的な苦吟の方が負担だ。しかしそれも慣れれば楽しみに変わる。

 その「班ノート」に使っているのが、博文館の新横線自由日記である。いろいろノートを探してみたが、これがいちばんよかった。理由は以下のとおり。

  1.  B6サイズなので、鞄に入れて持ち運ぶにせよ手に持つにせよ嵩張らないし、ノートや教科書とも異なる大きさでハードカバーなので、紛れることもない。
  2.  一日分のスペースがはっきりしており、日付を書く欄もある。こういうフォーマットがしてあると、すっと書き出しやすい。
  3.  B6の一ページを上下に区切って一日分としてあるので、この程度なら、こんなに書かねばならないのか、という精神的負担も比較的軽い(もちろん、書きたければ何日分ものスペースを使って書いてもよい)。また、見開きに四人分の書き込みが見えることになるので、「読まれている」という意識ももちやすい。

 こんなところだ。96281264
 なお、どうせ全員に書かせるなら、一人一冊にして全員と週一回の交換日記にすれば、と思う方もいるだろう。しかし、それでは頑張って書く学生と全く書かない学生との差が大きく出てしまう。次に回さねばならない、と思えば、下手でもなんでも何か書こうとする。そこが狙いである。それに、自分の文章をわたしの他に読む人がいる、と意識させることは、文章と言語の公共性を身につけさせることにつながる。
 また、どうせワープロ打ちするんなら、最初から学生に電子化したデータとして作成させれば二度手間がない、と思う方もあろう。しかしそれではだめなのだ。形ある物が回覧されるからこそ、コミュニケーションが体感できるのである。デジタルの限界だ。それに、学生の作成する電子データは、用字用語や表現の誤りだらけで、逐一修正しなければならない。二度手間であることに変わりはないのだ。

 学生は、最初のうちは、何でこんなことしなきゃいけないんだ、と思いながら嫌々書いていたりするが、だんだん文章でのコミュニケーションの面白さに気づく者もでてくる。シリアスなお題など出すと、文章での意見表明が白熱する班もある。学年の最後ともなると、わたしが何も言わないのに、「さよなら班ノート企画」などと題して、学生が超大作を班をまたいで作ったりする。まことに面白い。
 特別活動で扱う事項について、意見や体験を募るにも、一週間あれば自動的に集まってくる寸法である。96281261

 まあ、これはわたし流の使い方だが、他にもいろいろに使い勝手のいいノートだと思うので、お勧めする次第である。

 今まで三回担任したが、それぞれの壮大なラブレターの綴りである班ノート(以前は「組ノート」と呼んでいた)は、わたしの宝物の一つになっている。
 そして、最初に担任したクラスの卒業生のなかには、今でも学級通信を全部ファイルして保存している者もいるという。嬉しいことである。 

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