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2009年10月15日 (木)

シーズと言われても

 研究シーズなんて、国文・国語教育の研究をしてても、滅多に聞くことのない言葉だ。例によって、理工系から始まったものが広がりつつあるのだろう。
 職場で、研究シーズ集を作るから、書き込んでおけ、というメールがこの間から頻りに来ているのだが、何をどうしたらいいのか、分からない。何なのだ、研究シーズって。

 しかたがない。「研究シーズ」で検索してみよう。

 しかし、出てきた彩図は、みなどこかの大学の「研究シーズ集」である。100件めくらいまで下がってもそうである。「研究シーズ」の何たるかを書いてあるページは見あたらない。大学の世界ではよく知られているが、その世界の方言でしかないらしい。
 そして、その「研究シーズ集」に挙げられているのは、多くが予想どおり理工系のものである。人文系のものも少しはあるが、その大学の規模からいって、人文系の教員全員が挙げているとは到底思えないだけの数量しかなかったりする。
 そして、一応全員のが揃っているらしい大学でシーズ集の中身を見ると、人文系のものは、失礼ながら明らかに投げやりに書かれているものが多い。どんな方面に興味があるか、という程度で、研究の計画ではなかったりもする。

 解説されていないから推察するしかないが、シーズは「種」を意味する「seed」の複数形なのだろう。研究の種。ギョーカイ用語でいうネタ。
 そりゃ人文系は書けませんやな。ネタの段階で自分の研究を公表しようと思う人文系の研究者はあまりいないと思う。この領域の研究は、独りで悩み苦しみぬいて理論や解釈を捻り出すものだからである。ある程度の見通しは立てるにしても、やってみなければどういう結論になるか分からないようなところがある。どうなるか分からないものを無責任に公表するわけにはいかない。
 また、特に作品解釈など、着想が勝負なので、研究の着想を他人に盗まれたりしても、面白くない。きちんとした形が整って、業績としての体をなしてからでないと、とても公表などするわけにいかない。ネタこそ命だから。 
 そういうことなので、正直に書くにしても、めちゃくちゃ抽象的なことしか書けない。教員総覧と内容が変わらないことになる。具体的に書け、と言われれば、ダミーを掲げるしかない。そんなものを載せたシーズ集を出しても意味がない。
 要するに、人文系に「研究シーズ」という概念は全くなじまないのだ。

 チームで研究するのが基本である理工系とは全く事情が違うのに、人文系にも一律にシーズを出せ、というのが無茶だ。理工系主導の学校では、屢々この種の数で押し切って無理やり合わせさせるようなことがある(その割に、研究費にはちゃんと差がついているのは、どういうことだ)。

 と言うより、そもそも所属校のシーズ集はパワーポイントファイルに書き込むようになっている。しかるにわたしはパワーポイントなど使う習慣はないし、手持ちのパソコンいずれにもパワーポイントなんて入っていないから、内容がどうこう言う以前に、書きたくても書けないのだ。てことですいません。
 このことも含めて、理工系の方は自分たちの価値観や慣例が世界のルールと誤解する傾向があるんだなあ。立場が逆になると人文系も同じなのかもしれないが、逆になることはまずないしなあ。

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