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2010年3月 8日 (月)

漢字がかえって意味理解を阻害する

 何年か前、ある女子学生の作文にあった文をみて、たまげて椅子から落ちそうになった。

私の父はとても官能的なので、わが家にはなくてはならない人だ。

 近親相姦なら学生相談室に報告せねばならないが、なくてはならない と言っているのだから、お父さんはおばさん向けホストクラブか何かで稼いでいるのだろうか。
 まあそんなこともないだろうから、その女子学生を呼び、官能 という語の意味をどう理解しているのか、と問うてみた。多分そこの勘違いだと思うからだ。果たして、彼女はこう即答した。

「公務員としての能力が優秀であること」

 なるほど。彼女のお父さんは地方公務員であった。
 という漢字の意味が広かったわけである。しかも、日常用語では は「役職」の字意で使われることの方が多く、体の部位の字意で使われる語は、器官 とこの 官能 くらいだろう。知らない学生が前者の語意にとってしまうのも、無理はないと思われる。男子であれば、しかるべき雑誌やビデオ類で目にしていることもあるのだろうが、女子だからなおさらだ。
 もちろん、わたしが正しい語意を彼女に教えると、彼女は悲鳴をあげんばかり赤面して、書き直させてください、と作文をひったくって去った。

 
 わたしは、漢字書取の演習を行う時は、熟語を構成する漢字に訓読みを付けるよう、指示する。そうすることで、どのような意味の字がどのように組み合わさって熟語の意味ができているか、明らかに理解できるからである。
 しかし、官能 のように、字自体が多義的な場合、あり得る熟語の意味と実際の用法とが必ずしも一対一に対応しない。官能 だって、彼女の言うような語意の熟語であったとしても、論理的には少しもおかしくないのである。ただたまたま一般的にその語意で流通していないだけだ。こう考えると、熟語の意味というのは多分に恣意性がある。

僕は人為的なボランティアは立派な行為だと思う。

という文も作文にあった。
 人間が意図的にやることであるボランティアは、すべからく人為的であるはずで、わざわざ断る必要がないが、もうお分かりであろう。この学生は、人為的 を「ひとのためになる」と理解していたのである。行為 という単語を同じ文のなかで使っていながら、 を「ため」としか解釈できなかったか。あるいは、行為 も「行動の目的」とでも解していたか。

 
 逐電 を「電撃をかわす」という語意だと思っていた学生もいた。 の字は現在では「電気」「電車」「電話」の略として使われることがほとんどになった(かつては「電報」も)が、もともとは「稲妻」のことである。
  は「追いかける」意なので、逐電 は「稲妻を追いかけるごとく素早く逃げる」語意になるのだが、これとて「逃げる」という意味はこの二文字のどこにもないわけで、実際もともとの中国の用法では「逃げる」の意は含まれない。だからこれは、日本での慣用によってたまたま定着した意味なのであろう。
 「稲妻を追いかけるごとく素早くてきぱきと目標に向かっていく」というポジティブな意味の熟語になる可能性だって、十分にあった。

 
 前衛的 を「すごく危険である」と解釈していた例もある。これはそんなに間違っていないのかもしれないが、戦闘の前衛というより、バレーボールか何かをイメージしての解釈ではなかろうか。

 
 退職挨拶などによくある 大過なく という語句を「あんまり目立たない」と解釈した学生は、「大き過ぎない」→「目立たない」という連想をしたようだ。
 目立たないまま停年を迎えるのはやや淋しい話で、そんなことを自分でわざわざ言わなくてもよさそうなものだが、目立つと苛められると思うマニュアル世代の意識が現れているのかもしれない。
 過失 などの熟語を思い浮かべてもらえれば、 に「あやまち」の字意があることに気づいてくれたことと思われ、そういう類推を促す指導も大事である。

 
 わたし自身が高校生の頃に語意を取り違えていた語を白状する。
 それは、要諦 という語である。わたしは文章でこの語に出会い、勝手に「肝心なところであきらめたこと」だと解釈したのだが、どうもそれでは文脈のなかで意味が通らない。何度かそういう経験をした後、ようやく重い辞書を開いてみて、初めて間違いに気づいた。
 その後さらに詳しく調べてみると、 の字に、「あきらめる」、すなわち英語で言う「give up」とか「abandon」に相当する字意が出てきたのは、日本に入ってきてかららしい。
 「あきらめる」は「明らめる」とも書くことができる。こう書けば、「明らかにする(clarify)」という意味になる。これがこの字の中国でのもともとの字意であり、従って「あきらめる」という訓読みがわが国では付与された。「物事の道理や成立ちを明らかに(具体化)する」=「本質・全貌を悟る」という意味の字であったのだ。
 ところがその後に、わが国のほうで「明らめる」の語に意味の変化があった。「物事の本質・全貌を悟る」→「全ての真理をよみきる」→「人(自分)の力が及ばないと思い知る」→「give upする」という変化である。それで の字にも自動的に「give up」の意味が与えられることとなった。
 だから、諦観 は日本では「悟りきった見方をして手出ししない」というような意味で使われることが多い語だが、中国では単に「よく見て詳しく知る」というだけの語意である。同様に 諦念 も、日本では「何をしてもしかたがないという気持ち」として使われることが多いが、中国では「物事の本質を知って落ち着いた心持ち」という語意になる。
 そういうなか、要諦 は珍しくわが国でも がオリジナルの字意で使われる熟語なのであり、従って「大切な事柄」の語意になり、「give up」の意味が出てこない。
 こういう例は、元の字意よりも発展的な字意の方が知られてしまったことによる間違いである。

 
 少しずれるが、字そのものを取り違えていることによる勘違いもある。学生がよくやる、憂慮 を「やさしく思いやる」、あるいは「すばらしい考え」という語意に解釈する誤りがその例である。
 これらは明らかに、 に読み替えているのである。知らない字を無意識のうちに知っているよく似た字に置き換えている場合もあれば、 とか、 とか、とかのように、似た字形の漢字が似通った意味で使われている他の例からの類推である場合もある(これには、代用字という別の問題が絡むが、これはひとまず措こう)。

 
 これらの場合はえてして、漢字の意味を考えることが、かえって熟語の意味の理解を阻害しかねない。それが面白いと言えば面白いのだが、習う側にとっては骨の折れるところだし、教える側も注意せねばならない。 

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 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
ISBN: 978-4-906485-09-3 
 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

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5.6  言葉の動向」カテゴリの記事

コメント

 ドイツ語はじめインドヨーロピアン言語には漢字はありませんが、ある単語とある単語、往々にして名詞と動詞、を組み合わせると、本来の意味から絞られて狭い特定の意味しか表わさない、という現象はあります。

 あと、本来の意味を逸脱する場合も、少ないですが、あります。

 間違った使い方をしないための(特に、教育)方法の一つは、本来の語の、語源の意味をおさえることが重要だと思います。

 限られた枠内の授業時間、指導要綱ではありますが、このような意識をお持ちのまるよしさんのようなご教員がいらっしゃることは「日本語の救世主」に巡り合ったような気持ちになります。

投稿: ドイツ語通訳 | 2010年3月12日 (金) 21時23分

 そう言われると、そうですねえ。「和製英語」なんて言われるものも大抵は、単語や意味成分の結合のしかたが原語とずれている、というものでしょうからね。

 本当に「日本語の救世主」になれたら、日本語の研究者としてこれ以上のことはないと思います。が、実際はもう毎日が試行錯誤で(笑)。まあ、従来の国語教育には多々改善の余地があると思うので、地道に訴え続けていきます。

投稿: まるよし | 2010年3月12日 (金) 22時07分

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