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2010年10月11日 (月)

研究書としての『「いい文章」ってなんだ?』

 『「いい文章」ってなんだ?』(石川巧 2010 ちくま新書)という本は、新書判であることや、帯に書かれた「試験に受かる文章の秘密を探る!」というような惹句から、受験生向けのノウハウ本かとわたしは思っていた。
 それでも、商売に関係する内容なので、一応目を通しておこう、と思って買ったのだが、期待をいい方に裏切られた。かなりしっかりした研究書なのである。

 教科教育は、それが本質でないと分かっていながら、どうしても受験の影響から逃れ得ない。学校での作文指導も、大学受験の小論文入試から逆算される傾向がある。その小論文入試の概史が、豊富な資料とともに整理されているのである。
 これは、作文指導に携わる者にとって、貴重な書と言える。そして、小論文入試の歴史が意外に旧いことに驚かされる。 

 子どもの「学力低下」や「文章力低下」は、近年ゆとり教育にからんでよく言われるようになったこと、と思われがちだが、そうではない。同書の示す資料によればなんと、学校教育が始まって間もない明治中期には、既に慨嘆されていたことなのである。
 ことばというものの変転は世につれて激しく、何をもって「いい文章」と評価するべきかが常に揺れている。それゆえ、どの世代からみても、下の世代の文章力はもの足らなく見えるのかもしれない。「近頃の若い者は…」の一環でもあろうし、そもそもそういうことを論じようという立場の人は、世間一般の水準に比べて文章力の優れた人なので、そのように感じる、という面もある。
 名文の書写から入る、書道の延長線上にあった黎明期の作文教育。それがやがて文章を通しての国家統制に変貌した。そして、戦後の「個性」と「規範」の間で混乱する小論文へ。この流れは、国語科教育の「語学教育→文学教育→言語教育」というおおまかな変遷と一致している。

 マークシート式で「客観テスト」を標榜する(テストに「客観」などあり得ないのだが)共通一次試験実施の反動として、個性と思考力をみるための小論文入試が一気に拡がったのは、ちょうどわたしが受験生だった頃だ。「共通一次」は現在の「センター試験」の前身である。
 わたしも通信教育で大学受験講座を受講したりもしたが、「小論文」と「国語」とは別立てであった。小論文を書くための基礎的なトレーニングと知識注入とを、国語科が扱っていなかったのだから、当然かもしれない。当然、高校で小論文指導など皆無であった。
 受講生としての立場からみてさえ、その通信教育での添削指導の一貫性のなさに、首を傾げざるを得なかった。「小論文講座」でわたしが好成績を得た文章は、今ふり返れば、どうみても「論文」ではなく「エッセイ」であった。「論文」を書くと、評価は下がった。そして、対症療法としての添削はしてくれても、どうそればいい小論文が書けるか、という根本治療としての指導はなかった。

 他の受験生との差別化を図るためには、個の体験を題材にすればよい、との考えから、体験を綴ったうえで、どうでもいいような教条や感想を付け加える。この決まりきった形式が、実は小論文の答案を無個性なものにしている。同書の著者が小論文入試を採点する立場としてもどかしく思っているこのようなことは、わたしも作文指導のなかで痛感していることである。
 体験をもって個性を発揮するには、よほどぶっとんだ体験をしていなければならないが、たかだか高校生の人生経験に、特異なものがそうそうあるわけではない。
 いや、たとえ特異な体験があったとしても、それに一般性を帯びた解釈がなされなければ、論文にはならない。そりゃあんただからでしょ、で終わってしまうのである。体験その他の題材から「意見」をもつに至るまでのプロセスこそ、真に教育しないといけないことであり、最も教えるのが難しいところでもある。国語科だけでやればいいことでもないだろう。

 著者が最後に提案している、国語科を「文章表現科」と「文学科」に分離する、という提案、これに類する意見は昔から多くあるが、わたしはこれには反対である。文学とされる文章のなかにも、文章表現のために学ぶべき主題設定・段落構成・叙述などはふんだんに盛り込まれているからである。
 それに「文学」は、学校の一教科をなすほどの重みがある領域ではない。カルチャーセンターの趣味講座がいいところである。この提案は、情報科を「プログラミング科」と「ゲーム科」とに分けろ、と言っているようなものである。
 こう聞いて、文学とコンピュータゲームを一緒にするな、と怒る人は、昨今のゲームがどれほどストーリー性を帯び、どれほど鑑賞に堪える作品世界が構築されていて、どれほど人生を考えさせるかを知らない人であろう。もちろん取るに足らないくだらぬゲームもある。が、これも、程度の低い小説がいくらでも見いだされるのと同じことである。
 もし教科とするのであれば、芸術科の一領域として、選択科目にするのが適切であろう。その場合でも、「文章表現科」となった国語科のなかに、文学作品の読解(鑑賞ではない)は残すべきである。
 

 このような意見の相違はあるが、小論文という観点から作文教育の歴史を概観したこの本は、たいへん勉強になったし、貴重な資料ともなると思う。良書である。  

 

※ この記事のように、まるよしの楽しい国語教育の話を満載した本、ぜひお手に取ってお読みくださいね。

 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
ISBN: 978-4-906485-09-3 
 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

 勝木書店のホームページでご注文いただくのがご便利かと思います。
  http://www.katsuki-books.jp/ (書籍検索から)
 Amazon・楽天などでは購入できません。

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