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2010年12月25日 (土)

クリスマス・コンプレックス

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 どうぞ、よいお年をお迎えください。
 

 幼稚園はカトリック系に通っていた。
 キリスト教徒でもなんでもないのだが、家から歩いて通えるところ、そして送迎バスのないところを探すと、そこになったらしい。送迎バスについては、体が虚弱であったわたしが甘え心を出さずに通い続けることを期待したからであった。周囲の友人たちが揃ってそこへ通うから、ということもあったようだ。
 それにしても、仏教の家なのにカトリック系に通わせているのはわたしの家だけではなかったから、日本人のおおらかさがあらわれてはいる。

 
 当然ながら、幼稚園ではクリスマスを盛大に祝う。

 12月は、23日が終園式(もちろん当時は天皇誕生日ではなかった)であり、24日にはクリスマスミサが夜に行われた。園児一人一人に燭台が渡され、ほのかな光が点々と園内を練り歩いた。季節外れの蛍がほのかにうち光りゆくような様子は、遠目に美しかったことだろう。その燭台は、冬の風に火が消えぬよう、厚紙で覆いが施されていた。皆は静かにそれを持って歩いたが、わたしのだけは厚紙に火が移り、めらめらと燃え上がった。シスターがとんで来て燭台を取り替えてくれた。
 多分、好奇心旺盛という名の天の邪鬼が性格に宿っているわたしが、傾けてはだめ、という指示に反してためつすがめつしたために、そうなったのだろうと思う。が、なんで自分のだけこうなるんだ、と憮然たるわたしであった。お遊戯や工作、それに運動の時間など、皆ができることが自分だけできない、自分は普通ではない、ということを自覚しはじめた時でもあった。

 やがて園内の教会に着席したわたしたちは、壇上に現れたサンタクロースからプレゼントの包みを一人ずつ受け取ると、親に連れられて家に帰った。プレゼントが何であったかは全く覚えていない。
 家に帰ると、当然のごとく父が買って帰ったクリスマスケーキがあり、軽い夕食の後(もちろん当時わが国でクリスマスに鶏肉を食べる習慣はまだなかったから、ごく普通の夕食だが、いつもよりちょっと華やかに盛られていた)、それを切って食べた。家の中にはクリスマスツリーが彩りよく間歇的な光を発していた。

 
 このような非日常であるというだけのことで、意味も分からずに、クリスマスはなかなかおもしろいものだという印象が刷り込まれた。この後に控える大晦日から正月も非日常には違いないのだが、子供にとって五感に訴えてくる分かりやすさはクリスマスの方が遥かに勝っている。だからわたしは今もクリスマスのムードが好きだ。
 幸い、この頃はだんだんクリスマス準備が早まる傾向があり、11月に入ると、もうホテルやデパートではクリスマスの飾りつけが施される。こういうのを見ながらクリスマスキャロルのコーラスが流れるのを聞くのは、非常に嬉しい気分になる。

 
 しかし、どこかで後ろめたさを同時に感じている。熱心でないとはいえ一応仏教徒ということになっている自分が、異教の教祖の誕生日を祝う日に浮かれることを申し訳なく思う気持ちが、常に霞のように心にかかっている。それはあの時のイレギュラーな炎のように、どうしようもなくわたしを焦がす。
 せめて23日は陛下に思いを致して過ごしたいと思うのだが、やっぱり見るもの聞くものに心が躍ってしまうし、イブにケーキやフライドチキンを売っているのを見ると、ふらふらと買ってしまったりもする。

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