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2011年1月13日 (木)

『ちりとてちん』の面影懐かしい『てっぱん』 下

 『ちりとてちん』と『てっぱん』とは、細かいギャグでも通じ合う。
 例えば、次のような「外来語の言いまちがい」である。

 鉄平が、あかりが音楽の途に進もうとすることを評して、
「おまえにはそういうDHAがあるみたいじゃしね」
 と言う。千春もトランペットを吹いていたことをふまえた発言だが、それに対してあかりが、
「それを言うならDNAじゃ! うちは魚の油か」
 とつっこむ。
 これは、『ちりとてちん』の同種のギャグ一発めの、
「ここにお父ちゃんの箸をボブスレーしよう思うんや」(糸子
「ディスプレイやろ」(喜代美
 と同等の破壊力をもっていた。
 もっともその後は、外来語に限らず、
「どこの馬の面(つら)か分からん男と…」
 というによる「慣用句混淆」など、広範な「言いまちがい」ギャグに発展している。
 また、ヒロインによる妄想シーンの多用(『てっぱん』でははっきり「妄想」とは銘打っていないが)とそのおかしみも、どこか共通するものがある。

 ナレーションは中村玉緒さんである。『ちりとてちん』のナレーションだった上沼恵美子さんとは関西弁の女性ということだけは共通しているが、口調はむしろ対照的である。
 『ちりとてちん』では、喜代美本人が何十年か後から回想している、という設定が(純論理的にはいろいろな解釈の余地があったにしても)最初から分かるように語られていた。
 それに対して、『てっぱん』のナレーションは、登場人物の誰かではなく、神の視点でもなく、「視聴者代表」のような感じである。ドラマというより、たとえば『ぶらり途中下車の旅』の滝口順平さんに近いような視点を感じるのである。ただ稀に、先の展開を知っているかのようなナレーションが視聴者を誘導する場合はある。
 玉緒さんが初音のことを「ばあさん」呼ばわりするのはちょっと抵抗があるけれど、概ね聴きやすいナレーションだ。12月24日のオープニングで、あの声で、
「メリークリスマス!」
 と叫んだのには、そのミスマッチに抱腹した。1月4日の、
「ア~ハッピーニューイヤ~」
 も、なんで英語?

 
 『てっぱん』も折返点を過ぎたが、今後の展開はどうなるのだろう。草若が死んだところをみると、もしかして初音も、と思いかけたが、それはないかな、と思う。千春あかりを産んですぐ、既に死んでいる。そこからあかりの「自分探し」が始まったわけで、祖母までが死んでは、あまりに都合のいいお涙頂戴になりそうである。
 あかりの実の父が誰なのか、今のところ(ストーリー上も演出上も)全く手がかりがなく、これが今後の鍵にもなっていきそうなのである。年齢からいけばかつおぶし店の神田(赤井秀和)などぴったりなのだが、もしそうならここまでに伏線らしきものが示されるだろうから、これはないと思う。もっとも、赤井さんは『まんてん』でヒロインの父を演じ、当初は行方不明だったのに、途中で帰って来て話をややこしくした前科? があるので、油断ならない。神田のみならず、既に登場している人物のなかに、それらしい伏線にのせられている人は見あたらないのである。
 なお、下宿にいたジェシカこと西尾冬美(ともさかりえ)は、最初から思わせぶりに登場したわりに、あっさりと田舎に帰ってしまった。しかし、これは朝ドラ名物の「舞台出演による一時降板」ではないだろうか。後半にひょっこり戻って来てまたストーリーに絡みそうな気がする。小梅のようにである。それにしても、ともさかさんが、こういう「歳とった姐ちゃん」的キャラを演じるようになったのだなあ。

 
 『ちりとてちん』とは関係ないのだが、あかりの養母真知子役の安田成美さん、の友人で寺の住職横山隆円役の尾美としのりさん、造船会社社長篠宮久太役の柳沢慎吾さん、この顔ぶれをみて、ちょっとした感慨をおぼえる人もいるかもしれない。
 わたしもそうである。この三人は、昭和61年のTBS系ドラマ『親にはナイショで…』で主要キャストとして共演している。このドラマは、当時はまだ珍しかった、不倫や禁断の恋、引きこもり、国鉄分割民営化などの生々しいテーマを、21時からの時間帯のドラマにぶち込んだもので、謎めいたストーリーに実験的な演出もなされて、ドラマ史に残るような名作とはいかないが、風変わりな意欲作として記憶にある人が多いのではないだろうか。
 そして、尾道の寺に尾美さん、という組み合わせも、そうこなくっちゃ、と思う人は多いだろう。尾美さんと森田さんは、映画『転校生』のオリジナル版とリメイク版で同じ役を演じた(主演)同士であり、その顔合わせも楽しい。

 鉄平小次郎になぞらえる向きもあるようだが、わたしはむしろ、隆円小次郎的な風来坊のキャラを感じる(根無し草という意味では、四草にも近いか)。後半に、隆円に「ふるさと」を与える奈津子のような女性が現れるくだりがあったりするのかもしれないが、相手が思いあたらない。冬美が戻ってきたら、と考えたりもするが、二人の接点が今のところない。

 わたしがとても堪能しているのは、富司さんの演技である。考えてみれば、富司さんが女優復帰してから、というか、富司さんが本格的に演技しているものを、ろくに観ていなかったことに気づいた。
 富司さんというと、『3時のあなた』の司会や歯磨き粉のコマーシャルでにこやかで上品な姿を見せていたイメージしかなかった。わたしの世代は『スチャラカ社員』や緋牡丹お竜シリーズなどは記憶にない。
 だから、当初富司さんのいじわるばあさんぶりには違和感があり、無理に演っているような感じを受けていたのだが、だんだんと見慣れたのか、いや、富司さんの演技の力だろう、初音にしか見えなくなってきたし、こういうおばさんいるよなあ、などとそのリアルさにも得心がいった。『紅白歌合戦』のゲスト出演時も、初音になりきっていた。

 ブラスバンドと三味線演奏が、それぞれの底流としてあったように、両ドラマは、音楽のウェイトも高い。
 『ちりとてちん』では「ふるさと」、『てっぱん』では「瀬戸の花嫁」が、モチーフ曲として使われているが、「瀬戸の花嫁」は「ふるさと」ほど構想に密着してまた徹底して使われているわけではない。
 なんとなく、『ちりとてちん』の堅牢な構想のくみたてを、ちょっと緩めて柔軟にしたような構想を、『てっぱん』のなかに感じる。その緩さは、オープニング曲の伸びやかさやあのコテと湯気の織りなすけだるいダンスに通じている。

 
 スタッフの意図的な遊びもある。初音の下宿屋に入っていく道の片側の塀は、草若邸のものがそのまま使われているし、の家には徒然亭の落語会(「寝床寄席」)のチラシが貼ってあったりする。
 草若邸は大阪天満宮の側、初音の家は阪堺電車沿線という設定なので、そこに草若邸や「寝床」があるわけではないと思うが、こういうのを画面でサービスしてくれるのが嬉しい。

 以前の記事でも触れた『ゲゲゲの女房』の時に続き、やっぱり『ちりとてちん』で大事件を起こしたあのアナウンサーが、『てっぱん』明けに、
「八時はっ…、八時十五分になりました。ニュースを…」
 とやっていた。八時半がどれだけ体に染みついているのだ。どれだけドラマに入り込んでモニターを見ているのだ。いいなあ。

 こんないろいろな見どころがある、そして『ちりとてちん』との共通点も多い『てっぱん』、今後も愉しみである。前記事()を公開してすぐに、「ちりとてちん てっぱん」というような検索語から同記事を読んでくださっている方が多数あり、同好の仲間は多いようだ。一緒に大いに観て笑っていきましょう。

(了)

(↑解題本『『ちりとてちん』に救われた命』は、平成26年末をもって、書店・Webでの販売を終了します)  

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