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2011年4月16日 (土)

叙述ミステリーとして~ 『シューマンの指』 上

 ミステリーが特に好きでもないわたしが、ミステリーとして宣伝されていたこの 【送料無料】シューマンの指 (左は、「楽天ブックス」の該当書ページにリンクしています。購入もできます)を買う気になったのは、何といっても「指」による。
 高名な作曲家であるシューマンは、ピアニストを志していたが、指を患ったためにそれを諦めざるを得ず、作曲家に転向した。それに因んで、この小説でも、将来を嘱望されていた若き天才ピアニスト永嶺まさとが、事故で指を切断してしまい才能を断たれる、という話になる。
 わたしはピアニストでも何でもないけれど、この点でシンパシーを感じたわけである。指の切断が話の核にある小説はそう多くないだろう。わたしが読んでおかねば、という気になった。
 時代設定も、わたしが学生時代を過ごした時分と重なるし、主人公らは少し年上ではあるが同世代と言ってよさそうである。

 一般的な書籍紹介で『シューマンの指』はミステリーとして扱われていることが多いのだが、実はこの小説は、ミステリーではない。というのは、殺人事件の扱いから明らかである。

 確かに、殺人事件は起きる。その犯人が誰で、どのようなトリックを使ったか、についても、興味深くなくはない。これがもう『藪の中』のごとく、複数の視点から語られて、どうもわけが分からなくなる。しかも、それらとまた異なった視点をもっているはずの他の人物による語りは、割愛されている。真相は、結末まで読んでも、その全貌が分からないのである。ますます謎めいてしまう、とも言えよう。
 しかし、この小説の「読みどころ」の核心はそこ、つまり、犯人探しやトリック暴きでは全くないのだ。叙述の技を愉しみ、作者との知恵比べを愉しめばいい、そんな趣向の作品である。

 主人公の里橋優は、音大を目指してピアノにとり組んでいた高校三年の時、天才少年ピアニストとして既に名を馳せていた永嶺まさとが二級下に入学してくる、という噂に心動かされた。
 その永嶺は入学後、指の切断事故によってピアニストをやめたはずだった。のに、永嶺が演奏しているのを見た、という親友鹿内堅一郎の手紙を受け取る。里橋が二十五歳の時である。
 実は、殺人事件よりも、このことの方が小説の主たる謎ということになる。そして、その謎も、完全なかたちでは解明されないのだ。むしろ、ミステリーなら謎が収束するべき結末において、新たな謎が提出されさえする。どこにどのように謎が潜んでいるのか、ということ自体が謎であるとも言える。

 小説は、まさにこの鹿内の手紙文章で幕が開く。この手紙文章の叙述に、作品構想の基礎となるトリックがしかけられている。内容ではなく、叙述にである。トリックはこの後の文章にもあるが、大本はこの手紙である。
 だから、よほど注意深くこの手紙文章を読んで、そもそも何が謎であるのかに考えをめぐらせておけば、この作品をより愉しむことができよう。
 謎があるならミステリーではないか、と言われそうなので、ストーリー上のトリックではない、ということだけ言っておこう。叙述そのものにトリックがある。わたしはこういうのを、「叙述ミステリー」と呼ぶことにしたい。

 シューマンを中心とする音楽に関する深い教養が、きらびやかなまでに叙述に散りばめられている。と言っても、わたしを含め、クラシック音楽の専門知識のない読者が読んでも、全く抵抗がない。

 要するに、作品五四の持つ「物語性」がシューマンを惹き付けた理由だと、修人はいったのである。しかし、古典派以後のソナタなる形式そのものが、おそらくはオペラに由来するのだろう。対立する複数主題から構成されるドラマ性、つまり、何かしらの「物語性」を持つのであって、それは作品五四に固有の特徴とは言えない。
 むしろシューマンが魅力を覚えたのは、第二楽章のアレグレットではなかったかと、私は考える。右手左手がともに十六分音符の素早い動きを見せる楽章は、一種のトッカータと見ることができ、旋律線が音符の重なりのなかに埋没される技法は、シューマンの愛好するところであるのは間違いない。
 証拠はないけれど、シューマンの作品七の《トッカータ》、九歳の修人がコンクールで弾いたあの曲は、ここからインスパイアされたのではないだろうか。他にも、《ピアノソナタ第二番ト短調》Op.22の終楽章に、このベートーヴェンの楽章の反響を見ることができるだろう。
(79頁)

 こういう叙述がえんえんと続く箇所がいくつもある。あくまで里橋の語りだから、定説というわけでもなかろうし、ここに書かれていることの当否は、わたしには全く分からない。共感したり反撥したりできるほどクラシック音楽の素養がないからだ。それどころか、何がどうだと言っているのか、ほとんど理解さえできないような箇所もある。
 それなのに、不思議と読んでいて退屈ではない。むしろ愉しい。夢中になって何かに自分の未来を映しみている青春達が心地よいのだろうか。そして、何でもいいから音楽っぽいムードが盛り上がるだけで、この小説の作品世界に身を浸せる気がする。いちいち内容を咀嚼しなくても。

 衒学的にみえて実は全く逆、いわば「幻楽的」な美しい文体であるのだが、そのなかにごく自然に、その麗しさを損なわずに、カニバリズム(人肉嗜食)と同性愛のイメージがすべりこまされている。これがまた、その二つをモチーフに長い小説を書いたわたしは、その叙述手法に感銘と嫉妬を禁じ得ないのである。こういうモチーフを品を落とすことなく用いるには、これほど叙述上の根回しが必要なのだなあ、と反省する。
 プロの技は違う。もはや叙述ミステリー、でもなくむしろ、叙述マジックと呼ぶべきか。

 だから、内容や結末を断りなく書いてしまってもいいのかもしれない。わたしが感じた面白さは、それらを知ってしまったからといって損なわれるものではない。が、あくまでこれは謎解きを主体とするミステリーだ、ネタばらしは反則だ、と主張する人もいるだろうし、結末を知ってしまっては読む愉しみが台無しだ、と迷惑がる人もいると思う。
 そこで、一応お断りしておく。

 当記事では、『シューマンの指』の構想の全体像や、結末、叙述手法などについて、記述しています。まだ同書をお読みになっていない方で、それらを知りたくない向きは、ここから先をお読みにならないことをお勧めします。

 ともかくも、冒頭の鹿内の手紙だ。右手中指を失くした(わたしと同じだ…笑)はずの永嶺まさとがシューマンを弾いたことを知らせているのだが、

しかし、間違いなく、ピアノの前には、本物の永嶺まさと--修人と書いた方がいいかな--が座って、Schumannを弾いたんだ!(6頁)

 と書かれている。この永嶺の名の表記の違いに意味があるらしい、と分かる。普通に考えれば、まさとは芸名? で修人(これも訓みは「まさと」である)が本名なのか、と思うのだが、その後で、僕らの「永嶺修人」 という表記が出てきて、分からなくなる。僕らの とはどういう意味か。世間に知られる虚像(芸名)のまさとではなく、素顔(本名)の修人をわれわれは知っている、ということか。しかしだとすると、鉤括弧で括るのが不自然である。この意味は何か。
 が、これらのトリックも、すっと読んだだけでは、ほんのちょっとしたひっかかりがある程度だ。実際はそれほど気にならずに読み進められるものではある。 

 高校三年生の里橋が、新入生として入学してきたことになる一年生の永嶺修人と初めて会う場面から、既に修人はミステリアスなムードを湛え、かつ大人びた美少年として描かれる。もちろん、里橋の眼を通しての叙述であり、里橋はここでもう修人に性的な魅力を感じている。反面、「粉砂糖」にまみれた指、という子供っぽい修人の一面が、執拗に描写されもする。矛盾した、というか、現実感の薄い人物像になっており、これがまたトリックである。

 堅一郎と三人でいるとき、ふっと修人の姿が消えて、いない人間であるかのように思える瞬間があったのを私は思い出す。(中略)修人は普通の人とは何か違う存在の仕方をしているからだと、そんな場合、私はよく考えた。(114頁)

 というかなり(作者としては)大胆な言葉を里橋に語らせてもいる。これは、当時の自分がこう考えていたのだ、と大人になった里橋が思い込んでいるのである。大ヒントだ。
 そうかと思うと、修人のクラスで、音楽祭のピアノ伴奏を修人にさせようとして、修人が拒絶した、という、いかにもありそうなエピソードが挿入され、リアリティーの度合いを上げたりもする。それも、里橋の想像の産物、あるいは、実際にまさとがそうしたという話を聞いて想像に繰り込んだ結果であるわけだが。

につづく)

(下の画像は、「楽天ブックス」の該当書ページにリンクしています。購入もできます)

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