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2011年5月25日 (水)

叙述ミステリーとして~ 『シューマンの指』 下

 前記事に続いて、「叙述ミステリー」たる 【送料無料】シューマンの指 (左は、「楽天ブックス」の該当書ページにリンクしています。購入もできます)を紹介・検討する。

 これまでに「叙述ミステリー」として感動した作品は、当ブログなどでも何度もひきあいに出している、筒井康隆氏『ロートレック荘事件』である。 同作では、叙述のトリックが明かされる時が、殺人事件が解決する時でもあった。

 なお、前記事で、「叙述ミステリー」をわたしの造語のように偉そうに書いたけれど、叙述ミステリーという検索語で当ブログに来られる方もあり、既にそういう呼び方はあるらしい。検索した限りでは、特に当ブログでの用法と意味は異ならないので、安心した。

 が、この『シューマンの指』は、殺人事件の解決など気にせず、純粋に叙述を愉しませる作品である。

 高校での修人のエピソード、美少年であるがゆえ、このようなものがある。

 ここでいま一度警告します。この後、里橋と修人との真の関係など、作品構想の核心に関わる内容を直言します。知りたくない方は、読むのをおやめください。

修人に近づきたいと願うものは他にもいて、ことに女子のなかには、いまや死語であるけれど、かなり「熱をあげる」者もあったはずである。(98頁)

 ありそうな事態でありながら、用心深く断言を避けた叙述がなされている。後に里橋が後輩の女生徒からプレゼントをもらう、といったエピソードももあり、里橋自身がそうだったのか、と推測される。恐らく里橋も、理想化された修人ほどではないにせよ、それなりの容姿を具えているはずである。 
 
 そして里橋は、修人から音楽、なかんずくシューマンに関しての多くを、含蓄ある言葉で学び、自分のものにしていく。修人は、シューマンがなした「ダヴィッド同盟」を模した、「僕らのダヴィッド同盟」を結成することを提案する。
 「ダヴィッド同盟」が、シューマンが音楽評論を書く際に設定した架空の団体であった、という知識があれば、トリックを解く大きなヒントになるだろう。わたしは知らなかったが。結末部には本文中でも解説される。

 「僕らのダヴィッド同盟」の「メンバー」三人で話すとき、鹿内は修人の様子には無頓着であり、修人に直接話しかけることもあまりなく、しかし里橋とは熱心に議論している(111~114頁)里橋と修人は並んでベッドに坐っていることになっている。正面の修人へ真っ直ぐ視線を向けた(113頁)という鹿内の静態描写は、里橋の視点では不可能、とは言わぬまでも、普通はなされないであろう。里橋が修人の眼に憑依でもしていないかぎり。
 そして修人は依然として聖なる存在でありつづけ超然とふるまう。

 そんな修人の不可解な姿が描かれる最初は、学校の創立記念日に、鹿内の露頭観察に修人が随いて行くエピソードである。
 鹿内を疎ましく思っていたはずの修人が、頑強に随行を望み、あげく風邪をひいてしまう。そのような執着心は、全く修人らしくない。
 このエピソードは、鹿内の言動を含めてまるごと里橋の想像(鹿内が露頭観察に行った、というのは事実だろうが)なのだろうか。その翌日、修人は風邪でステージを休演、というか、すっぽかしたことになっている。
 休演は、事実まさとが起こした事態なのであろう。それを知った里橋が、それに合うように半ば無理やり、一連のエピソードを創り描いたのか。
 同じ妄想でも、先の議論の場面とは、鹿内の扱いとして端的にあらわれる、いわば「現実への依存度レベル」が異なる。里橋の視座が揺れているのである。

 件の学校での殺人事件の場面になり、美術教師吾妻豊彦が登場する。吾妻も、なかなかに世俗を脱した人物であり、従って修人の人物像には吾妻のそれに重なる部分もある。この吾妻を含めても、ここまでに登場している人物はごく少数であり、ここで事件と言われても、犯人捜しの面白みはあまりない。
 しかもこの時、里橋は異様な陶酔感に浸り、歓喜と至福のなかにあった。その状態での語りだから、当然他の箇所以上に信頼できない。音楽室での修人のピアノ演奏は、里橋自身が自分の演奏の理想像を脳裏に結べた(気がした)ものを具現化した妄想であろう。
 そして、事件の経過を追う記述のなかで修人の存在は隠れがちになり、後に何度も里橋自身によって描写が修正され、里橋が心を病んでいることがなんとなく分かってくる。
 殺人事件と警察によるその処理という生々しい事態。それと、修人の演奏という幻想。双方が同じ空間に存在する不可思議な場面づくりは秀逸で、その構築のためにのみ殺人事件を置いたのではないか、と思うほどだ。
 鹿内が「ダヴィッド同盟」のノートにこの殺人事件のことを記すにあたり、修人に全く触れていない。ことを、里橋は訝しみ一時は、鹿内が犯人ではないか、と疑いさえするが、鹿内にしてみれば、このセンセーショナルな事件を記すときに、修人などという里橋の想像の遊びに、いつものようにはつき合っていられないのは当然であるし、そもそも事件の場に(鹿内にとっては)修人などいなかったのだ。

 この後、修人の恋人として末松佳美が登場し、一緒に修人、もちろんこの場合は実在のまさとであるが、彼が出演するジュニア・コンサートを聴きに行く。
 修人に懸想する里橋は、当然のごとく末松に激しく嫉妬する。あまり、なにもそこまで、と思うほど醜悪にデフォルメされた末松の姿形と行動とが、グロテスクに描写される。妄想(この場合は妄想だと自覚できている妄想)のなかで里橋は、末松を押し退けて修人を犯すばかりか、そのナイーブな肢体を貪り食わんとする勢いである。
 コンサートの打ち上げ会場における修人の描写は、異様だ。これまでの美の極致のごとき修人とは、明白に別人格である。修人もその取り巻きたちも、きらびやかな衣装と高尚にみえる音楽談義とが、描かれれば描かれるほど逆に俗さが際立つ。まさとがいかに浮世離れした天才少年であれ、現実に生きている人間である以上、里橋が理想像として汲み取った上澄みの清らかさに及ぶわけがない。ましてまさとはその音楽活動ゆえに、大人の実社会にも身を置いていて、結果、高校生にしてはスレている。
 修人の正体に思いいたらずとも、少なくとも読者はここで、修人が「二人いる」ことを確信せざるを得ない。そして、末松のこの場面での振舞いを、この前の箇所に描写される、彼女が里橋の家を訪れるときの態度と行動に照らし合わせてみると、末松が実は里橋の恋人であったことも、また明らかだ。すると、修人が里橋の妄想上の存在であり彼自身の分身である、という結論もまた、帰納されざるを得ない。

たとえば、永嶺修人を私は知っている。あれこれの場面の永嶺修人を記憶している。けれども、いまそれらの場面を思い起こすとき、当の場面に登場してくる永嶺修人が同じ永嶺修人だとなぜいいうるのだろう?(229頁)

 と、里橋が、自分がウェイン=ブースの言う「信頼できない語り手」であることを自白するような語りをしているのは、その場面の後である。この語りもまた、大きなヒントとして置かれている。
 さらに、里橋が音大の入試でピアノ演奏の実技に臨んだ時、修人がその試験場にいて演奏を陰で聴いていた、というあり得ない事態を、確信的に里橋は描写する。

 里橋が最後に修人に会ったことになるのは、蓼科での「修人の誕生会」の時だ。その席には主要登場人物が揃っているが、修人だけがいない(あたりまえだ)。里橋の描写から丹念に事実だけを掬いだせば、それは実際は「里橋の合格祝い」の宴であったことが、矛盾なく理解できる。
 夜中に遅れてやってきて(ということにしないと里橋にとって辻褄が合わない)ピアノを弾いていた修人からの「告白」で、殺人事件は仮の解決をみる。そして、ついに里橋と修人の堅い抱擁と深いキス。それに嫉妬した末松が修人を、つまり実際には、吾妻里橋の同性愛関係に嫉妬した末松里橋を、刺そうとする事件。
 こんな(この人間関係にとっては)大事件が起きたのに、里橋はその直後、呑気に北海道旅行に出かけ途中吾妻と合流する、というこれまたあり得ない展開になり、その後末松は自害する。

 もうここから先は、「解離性障害」「物語中の人物」「空虚なイメージ」「幻影」と、あからさまに事の真相を語るキーワードが次々にあらわれ、里橋の妹恵子の、吾妻に宛てた手紙によって、整理される。謎はまだ残っている。が、それはどうでもいいのである。
 ときに里橋自身の内面に、ときに幻影として、ときにまさとにそっくり重なって、そしてときに吾妻鹿内をも投影して、見え隠れしつづける修人という架空の人物の姿が、いかに矛盾なく作品内現実に組み込まれたかたちで描かれているか、もう一度最初から読み直して叙述を辿るのが、愉しみである。
 そして、修人という魅惑的な少年がこの虚構世界の中にすら実在しなかったことからくる寂寥感もまた、やるせなくも快い。

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