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2011年5月22日 (日)

八百長の本質

 地震の影ですっかり忘れられつつあるような八百長だが、技能審査場所などが開催されて、細々議論は続いている。
 当ブログでも、野球賭博問題に関して意見を述べた(昨年6月の記事「相撲は仕切りなおせ」)が、何かうまく言い尽くせないものを感じていた。八百長についても同じ考えなのだが。

 それが、今週(5月26日)号の『週刊文春』の連載「ホリイのずんずん調査」を読んですっきりした。やはり相撲などの伝統文化と濃厚に接してきた方は違うな、と感心した。

 堀井憲一郎氏は、

べつだん、力士が力士のために勝ちを譲ったっていいじゃないか。日本のおっさんとして、おれはふつうにそうおもう。

(『週刊文春』平成23年5月26日号71頁 「ホリイのずんずん調査」788 「チカラビトの耐えられない軽さ」による 以下同じ)

 と述べる。わたしもこれにだいたい同意している(ことに気づく)。わたしのような歯切れの悪いいい方でなく、ここまで言い切れるのはさすがだ。金のやりとりがなければ八百長ではない、という主旨の発言をした相撲協会理事がいるそうだが、これも分かる。正直な気持ちなのだろう。ただそれを報道されるような場面で言うべきではなかったと思う。そういうことはまさに墓場まで持っていくことであり、絶対に客の前に曝してはいけない。

 そしてさらに、やられた、と思うのは、堀井氏が今回のことで何が問題と考えているか、という部分だ。こういうことはわたしなどのような立場の者が指摘しないといけないことだなあ、と思ったのだ。
 堀井氏は言う。

 問題は、勝ちを譲ったとかどうとか、そんなところにはない。
 言葉の問題だ。
 言葉に対して何の畏れも抱いていないことにたいする静かな怒りである。特殊な人間は特殊な言葉を使わねばならぬ、という約束事を守らぬ、思慮のなさへの哀しみである。

 なるほど。そうだったのだなあ。わたしが抱いていた違和感も、これだったのだ。そして、こういうことを、より的確な言葉で明言するべき立場なのに、できない自分がもどかしい。
 プロの力士やその周囲の人が、ケータイという俗感あふれる安易な道具を使って八百長の打ち合わせをする。この部分が最大の過ちだったのだ。
 もちろん、力士が一生活者として家族や友人と連絡をとるときにケータイを使うのは、いっこうにかまわない。しかし、大相撲という、独自の伝統と価値観をもち、単なるプロスポーツではない閉じた特殊な世界の一員となるとき、一般世間の軽すぎるアイテムを持ち込むのは、自らの価値を貶める、大相撲という文化自体の存在意義を否定することである。

 堀井氏は、力士を「チカラビト」すなわち「異形の人」である、とする。一般人から見れば「禍々しい異界とつながる存在」たる「慮外の人」である、とも言っている。この捉え方は的確だと思う。
 ケータイのメールというあまりに俗なメディアと、大相撲の星のやりとりという異界の深部に存する理屈とが、どう考えても合わない。どこかでひずみを生じるのはあたりまえである。

 ことばとは、所作や服装と同じで、人間の営為には常に伴うものであり、文化の骨格をかたちづくるものである。一般社会と「異形の世界」とで、ことばの運用が同じであっていいはずがない。
 体格・筋力とも図抜けた異形の人同士が、普通では考えられない激しいぶつかり合いを、神がかった舞台設定の上でやってみせるからこそ大相撲は、金を取れる、国営放送が下位の取組から中継するだけの価値が生まれるのである。そのことを反映して、相撲用語から、呼び出し・行司の独特の発声、相撲甚句、昇格時のもったいぶった挨拶にいたるまで、独自のことば体系が構築され、守られているわけである。まして、表にあらわれないところでやりとりされる暗部については、わたしたちことばの専門家でも分析しきれないような言語文化が存在することであろう。
 それを一般世間の軽薄なメディアの上にもちだす、もちだすことのできるようなことばに堕してしまうのが間違いなのだ。

 
 堀井氏は、いつものようなシュールなくすぐりを入れた文章を封印し、最後まで真面目に正面から大相撲を憂える情理を綴っている。愛するがゆえの苦言には重みがある。

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