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2011年6月 6日 (月)

『おひさま』で出会う大石先生

(文章の冗長さを避けるため、役者・スタッフ等の氏名は、敬称を略しています)

 今季の朝ドラ『おひさま』のヒロイン須藤陽子(井上真央)は、亡き母や、家の事情で学業を諦めねばならなかった小学校時代の親友の夢を引き継ぎ、小学校の教師になった。

 時代は昭和戦前であるが、こういう時代の女教師を描くとなると、どうしても『二十四の瞳』を準拠枠にせざるを得ないのだろうな、と思う。
 教師の教育スタイルにそれほどバリエーションの生まれようがない時代だから、GTOも女王の教室も成立しないのだ。昭和初期ごろまではいろいろな試みがなされてきた(まあ、都市部の話だろうが)ようだが、次第に一つの方向にまとめられていく。

 陽子が自転車に乗って勤務先に出校し、子どもたちと挨拶を交わすシーンなど、明らかなオマージュだろうし、子どもたちとの交流のいろいろを観ていると、陽子が大石久子先生に見えてきてしようがない。

 金八先生シリーズがメジャーになるまでは、虚構に描かれた理想の教師の代表格というと、やはり大石先生であった。もちろん、それまでにも高校教師を描いたドラマなどは多くあったが、村野武範にせよ中村雅俊にせよ、若さでつっぱしる型破り教師という色付けであり、理想像ではなかったし、かといってリアリティーもなかった。
 金八先生の第一・第二シリーズの頃にはわたしは既に高校生であり、教育学部志望を決めていた。それに、自分が思春期にあるためもあって、ちょっと金八先生に対して斜に構えるところもあった。それで、「大石先生を理想像と掲げて教師を志した」世代としては、最後のあたりに位置づけられると思っている。

 『二十四の瞳』は分教場が舞台であるため、大石先生が担当する一年生の人数はわずか十二人となっている。これは、一人一人の人間や人生をきちんと描く、という意味で、この人数が限度であったということでもあろう。
 実は、わたしは原作よりも先に、NHKのドラマを観ていた。それで興味をもって、改めて小説を読みだしたのである。昭和四十九年に杉田景子主演・佐藤和哉演出で制作されたドラマだ。これはかなり原作に忠実な脚色・演出がなされていたので、ドラマで印象的だった科白のかずかずを活字で確認することができた。本のこういう楽しみ方があるのか、と子供のわたしは思った。
 ドラマで描かれたストーリーは、最初の教え子である十二人が尋常小学校を卒業するところまでであったが、昭和五十一年に、子どもたちだけ大人の役者に入れ換えて、ドラマの続篇が作られた。同窓会で、卒業以来初めて会うような卒業生が顔を出して先生を感動させたり、連絡のつかない卒業生がいたりするのは、今思えばリアルだ。

 大石先生が教師をしていた戦前の時期は、昭和一桁の頃である。陽子は昭和十六年に赴任しているので、ちょっとずれている。と言っても、「ちょっと」なのは平成の現代からみているからであって、学校現場にとって、両者の時代の「香り」の違いは相当大きいだろう。
 大石先生が既に軍国教育に疑問をもち、また「あか」との噂がたち学校にいづらくなったこともあって、辞職したのが昭和九年であった。その七年後となれば、軍部の教育現場への介入は比較にならぬほど露骨になっていたことだろう。尋常小学校が国民学校と呼び換えられているのも象徴的だ。
 その分、陽子は大石先生に比べていくぶん呑気である。疑問はもちながらも、いちおう時局にふさわしい講話を子どもたちにしたりはしているし、朝礼で真珠湾攻撃の日本軍優勢が校長から知らされると、子どもらと一緒に喝采したりもする。戦争のわりきれなさは、今後身に染みていくのだろう。

 さて、「おひさま」は、連続テレビ小説の放送開始五十周年の記念作と位置づけられている。
 そのせいか、「お化け朝ドラ」と言ってもよかった人気作『おしん』と同じく、戦前から現代にかけての女性の一代記を、現代老齢となったヒロイン本人が身近に現れた人に語って聞かせる、という形式である。
 そこは踏襲しているが、新たな手法も取り入れられ、『おしん』ではヒロイン兼語り部役である田倉しん(乙羽信子)とは別にナレーションがあったのが、『おひさま』では一体化している。若尾文子によるナレーション(つまり現代の陽子の語り)は、しばしば「ドラマのナレーション」であることを自覚したような表現が入ってくる(「でも、「つづく」なのよね」など)。そして、若尾陽子とその聞き手で視聴者代表ともいうべき原口房子(斉藤由貴)との現代のシーンはかなりコミカルであり、房子もまた、「この流れは…」などと、虚構の狂言回しであることを少々は自覚したような言い回しをしたりする。
 脚本は、やはり続編が「4」まで制作されるほどの人気作だった『ちゅらさん』の岡田惠和であり、他にも過去の朝ドラで見かけたような出演者が脇役に配されている。

 数字に残るような人気ではなかったためか、あるいは前作『てっぱん』にその色が濃すぎたことによるバランスからか、わが『ちりとてちん』的な要素があまり見あたらないのは淋しい。もっとも、陽子の女学生時代の親友トリオである「お便所同盟」元へ、「白紙同盟」の真知子(マイコ)・陽子育子(満島ひかり)は、そのまんま清海(エーコ。佐藤めぐみ)・喜代美(ビーコ。貫地谷しほり)・順子(宮嶋麻衣)の三人組を見ている感じはする。
 『ちりとてちん』は、DVDの記録的売上が特徴的だったので、DVD化に際して何かやってくれるのでは、という期待もある。  

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