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2011年7月10日 (日)

完結編『JIN ~仁~』の終わり方は… 上

 今年度第一四半期で最も人気の高いドラマとなった『JIN ~仁~』完結編について、前編の記事と同様、終了から暫くおいたところでまとめ記事を書いておくことにする。

 
 前編の終わり方についてわたしが予測かたがた述べたことを、完結編のストーリーと照らし合わせておこう。 

 やはり、前編の終わり方は絶妙だったことが今になって分かる。あそこで提示されたいろいろなことは、結果的に完結編の伏線にもなっていたし、よし完結編がなかったとしても、それはそれで不自然さのない終わり方であったことも分かる。なかなかうまく考えられていたことになる。

 ホルマリン漬けの胎児は、元々南方仁の頭の中にあって、腫瘍として成長したものらしいが、坂本龍馬暗殺の場面で、龍馬の血をが浴びることで龍馬の遺伝子と結合したせいで、胎児に龍馬の心が宿ってしまった、ということらしい。強引だが、一応説明はついている。
 包帯男は、結局江戸時代から戻ってきた自身であり、元々平成にいた自らが執刀したことになる。
 前編で龍馬が暫く姿を消していたのは、平成にタイムスリップしていたというわけではなかったようだ。本当に江戸の漁村に滞在していたと考えられる。ただし、が平成に龍馬の心を運んでいるから、龍馬も平成を何らかのかたちで垣間見た可能性はある。が、それは劇中明言されなかった。
 前編ラストで未来が予備校の教壇に立っていたが、この予備校に別段の意味があるのではなかった。ただ、前編の友永未来と別の未来が存在する暗示ではあったことになる。

 記事「『JIN ~仁~』完結編と関連商品」では、「すべての謎が明らかになる」というキャッチフレーズに疑念を呈したが、予想どおり、すべての謎は明らかにならなかった。ともかく、包帯男は自身、龍馬は胎児、とすっきり整理がついたので、その部分の謎は明らかになっているのだが、全てではない。
 解明されなかった謎の最たるものは、前編でが見つけた「平成二十二年」製造の十円玉がどうやってそこに来たか、という点だろう。それどころか、新たな謎まで生まれたのである。
 もちろん、それでよいと思う。このドラマはそんな現象面の辻褄を合わせることに妙味があるのではない。タイムパラドックスの難点として新たな疑問になったのは、完結編での平成のは、未来の存在を認識しているのか、していないとすれば、江戸へ行って何を支えに生きるのか、などの点である。これを含めた、まさにタイムパラドックスの構造がどうなっているか、という壮大な問題は、はっきりと説明はされていないと考える。

 
 さて、終わり方で最も関心を集めたのは、が平成に戻るのかどうか、そして橘咲と結ばれるのかどうか、という点であったようだ。戻らずにタイムスリップ先の世界で生きていく、ということになると、『漂流教室』と同じパターンだから、まあそれ自体は「あり」ではあるのだが、今さらという感もある。普通に考えれば、やはり戻ってきて物語が完結するのだろう。
 結局は現代に戻り、と結婚はしなかったわけだが、Web上のさまざまな記述を観ていると、このことに不満をもつ視聴者は多いようである。

 しかしわたしは、冷静に考えて、と結婚するのは「なし」だろう、と思った。原作(わたしは読んでいない)では結婚するらしいので、ドラマでもそれを期待した人が多かったようだ。が、原作はそれでよいとしても、ドラマには、原作にはない友永未来という重要人物がいる以上、やはり「なし」なのである。未来という人物が出ただけで、ドラマ版は原作とストーリー構造を異にせざるを得ない。
 だから、完結編でにプロポーズした時、おいおい、と思ったのだが、がそれを断ったので、なんとなくほっとした。はきちんと平成に戻り、未来とのことに、江戸時代での暮らしを踏まえた落とし前をつけないかぎり、ドラマ『JIN』の「完結」はあり得ない。それをしないでと夫婦になって仲良く暮らす、なんてのは、いわば反則なのである。
 そしてもう一つ、男と女が愛し合ったとき、その愛が結婚というかたちで報われてこそ「幸せ」なのだ、という価値観が現代は蔓延している。だから現代人は、ついとが夫婦になることが二人にとって最大の幸せだ、と決めつけた目で見てしまうのである。しかし、江戸の女性の幸せを、現代の価値観で計っていいものであろうか。恋愛観も結婚観も全く違ったであろうに。の出現で、の周囲の人の価値観や倫理観は微妙に「近代化」されたのも事実であるが、そのの最も間近にいた江戸人であるが、自分で自分の幸福のかたちを選んだのである。
 「本当に恋愛を全うすること(だけ)が人の幸せなのか?」という根源的な問いかけをも、このドラマはしている気がする。現代の恋愛偏重の価値観も、息の長い流行に過ぎないかもしれないし、百年先の人々からみれば奇妙で幼稚なものに映るかもしれない。

 
 さて、完結編の初回で、佐久間象山と出会う。実は象山もタイムスリップを経験していたことが分かる。少なくとも、タイムスリップは特有の現象ではなかったのである。そして、特定の場所や時点でないと起きないというわけでもなかった。件の十円玉も、そうやって起きた誰かのタイムスリップによって持ち込まれたものであろう。誰かは分からないが。
 が平成に戻った時、入れ代わりに平成にいたが江戸時代に(多分)タイムスリップするのだが、こうなると、このタイムスリップはもう止めることのできないループになってしまうわけである。ではその永遠の(?)ループは何によって始まったのか、言い換えれば、一直線に不可逆に続いていたはずの時間が、どうして往来をはじめたのか、と考えると、人間が神の領域に踏み込むようなことをしまって、何かが狂ったからではないか、とわたしなど思ってしまう。それは核兵器の発明なのかもしれないし、遺伝子操作なのかもしれないし、宇宙開発なのかもしれない。あるいはそれらの複合で許容量を超えたか。

 タイムパラドックスの解明については、最終回で野口医師がパラレルワールドの解説をホワイトボードで流暢にやっていて、も一応納得したようなかたちになっていた(野口医師の性格やに対する態度も、微妙に前編と異なったように思う)。しかし、わたしはあれには納得できないし、このドラマお得意のミスリードであろうと思う。『JIN』があんなにほいほい手の内を見せるわけがない。
 納得できないことは細かく言えばさまざまあるが、端的に言うと、あれだとどこかの世界では友永未来を失ったまま昏睡し続けていることになるではないか。それでいいのか、と思う。

 ではどう考えればいいか。次の記事でさらに考えておこう。

につづく)

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