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2012年1月 6日 (金)

箱根の「神」に感謝

 三年前、わたしは重傷の予後と先の見えぬ病に拉がれて、失意と孤独の新年のなかにあった。初めてお節も雑煮もない正月、痛みとだるさに横臥したまま唸っていた。
 1月2日は早朝からガーゼ交換のため病院に行って疲れ果て、昼前に帰宅してテレビを点けた。2日・3日の午前中は、テレビもたいしたものをやらない。チャンネルは自然に箱根駅伝に合わせることになる。と言っても、スポーツに格別の興味もなく、熱心に観たことなど一度もなかった。
 そのわたしが、身を起こしてテレビを凝視せねばならない事態が映し出されたのである。

 レースは往路5区にさしかかっていた。1位の早大から遅れること五分近く、9位で襷を受け取った東洋大1年の柏原竜二君が、見るだけで胸のすくような快走をしていたのである。東洋大の往路優勝など誰も夢想せぬ状況でのスタートながら、次第にカメラは柏原君を捉える時間が長くなっていった。
 登りでもぐいぐいと加速していくところは、彼の足は電動アシストではないのか、という疑念さえ抱かせた。先行する七人の選手は次々と為す術なく抜き去られ、ついにトップに追いつく。暫く競り合いはしたが、芦ノ湖への下り坂でスパートした柏原君が往路のテープを切った。
 何か、涙が出るほどの快感があった。他人が走っているのを見て涙したなんて、初めてのことだった。

 これはもう、勇気をもらったとか力をもらったとか、そんな大層で複雑なものではない。ただただ気持ちよかったのである。暫しの間、痛みも忘れていた。
 「新山の神」「山の竜神」などの渾名が実況アナウンサーによって生まれたが、わたしには、昇竜、という言葉が浮かんだ。

 以降、今年度まで、この年末年始の超期間限定ではあるが、柏原君は石川遼・斉藤佑樹両選手に匹敵するほどの扱いを受け、人気と注目を集めてきたわけである。
 わたしは両選手が決して嫌いではない。が、格別に惹かれるものはない。対して、柏原君には強く魅せられたのである。
 柏原君が同世代の両選手と何が違うのか、と考えると、やはり箱根駅伝自体、商業的付加価値がほとんど感じられない、俗な言い方をすると、スレていない。そういうところに身を置いていることがいいし、柏原君はそこにすんなり嵌まるキャラクターである。
 石川・斉藤両選手はプロ入り前から既にプロを意識した立ち居振る舞いをしていた。世間が自分にどういう受け答えを期待しているかを熟知してテレビカメラの前に立っていた。このへんに「距離」を読み取ってしまう。何かつくりもののような遠さを。
 柏原君は、その素人っぽさにほっとさせられる。自分がどれほど大きな存在か、いまひとつ自覚していないようにも見えるが、その方がよい。庶民的なルックスもいいし、アニメオタクであるところもいい。ツイッターでのつぶやきを見ても、ごく普通のオタク大学生のものであり、フォロワーの多さにとまどっていたりする。
 昨年の往路ゴール後のインタビューでは、まだ呼吸が整わないままマイクを向けられ、
「やったぜ田中ー!」
 などと叫ぶ。そして、
「田中というのは誰ですか?」
 と冷静なアナウンサーに訊き返されたりする。全くウルトラクイズに優勝した高校生のような純朴さである。
 また、他の選手を見ていると、フォームにせよ苦しさに歪める顔にせよ、人目の前で格好よくあろう、という意識が多少はあるように見えるのだが、柏原君はそうではない。身も世もあらぬといった風情で走るのである。早けりゃいいんだろう、と言いたげに。最後の下り坂の所など、バスに乗り後れそうになって必死に走っているだけのようにさえ見える。しっかりと鍛えられた下半身とは裏腹、誇らしげに差し上げた両腕の細さに、ペーソスとユーモアを感じる。

 1年生の時は、テキトーに走ったらトップになっちゃった、みたいなあっけらかんとしたところがあり、それがまた可愛かったのだが、3年時は怪我と不調に泣かされた末の出場であり、往路のゴール時は涙に咽んでいた。
 このあたり、大学生になっても人間は成長するものだ、という感慨もあるのだが、そんなことよりも、スランプの報道に、満ちていたギャラリーの懸念を吹き飛ばすような登り竜の走りが健在であったことが嬉しい。3年生ともなれば、チームを牽引する立場としての気負いがあってもよさそうだが、それも感じさせなかった。
 彼は走ることを愉しんでいる。思いっきり力を出すことを愉しんでいる。だから観ている者も楽しくなる。彼のフォームがどうとか、ペース配分がどうとか、そんなことは素人のわたしには評価できない。楽しくなるということだけで十分である。

 最後の箱根となった今年は、チームのキャプテンでもあった。普通、こういう注視される選手はキャプテンにしないのがセオリーだと思うが、監督には思うところがあったのだろう。後輩たちにとってもよき先達となってチームをまとめ、優勝に導いている。
 沿道も、5区は曲折する山道を十重二十重の人垣が切れ目なく埋め、他区と明らかに込み具合が異なっていた。柏原の走りを見とどけるために足を運んだ人が多いことが窺える。柏原君自身も、襷をもらう前に、既に目の水分が多めだったかに見えた。

 この人は、地味ながら、諸プロスポーツのトップ選手たち同様、やはり何かを「もってる」人なのである。少なくとも箱根駅伝の成績やチーム結果を見るかぎり、綺麗にまとまった物語を描いてきた。
 誤解しないでいただきたいが、柏原君がその持って生まれた星の力のみで、苦しむことなく箱根の顔となり得た、と言っているのではない。あの走りの裏側に、凡人の想像を超えた努力と闘志があることは、論を待たない。
 しかし、そうした気張りが報われないこともままあるのも、スポーツの世界であろう。不慮の事故や病はいつ選手を襲うか分からない。心の闘いも凄まじいものがあろう。
 柏原君もまた、故障に苦しみ、顔と名が知れわたったことによる厄介な雑事にも向かい合わねばならなかった。
 が、そうであっても、正月になれば柏原君は箱根にいたのである。陸上選手としての危機にも襲われながら、箱根の時期には、どうにか襷に身を通すことができるまでに恢復したのだ。他の区への挑戦も、何度かささやかれはしたが、開幕してみれば、やはり小田原で襷を待っているのである。そして芦ノ湖のテープを必ず彼の胸が押し破るのである。

 彼自身が神であるというよりも、箱根に、山に、もし神がいるならば、その手によって彼が睦月の箱根に呼び寄せられているような気がする。おまえは、自身のため、仲間のため、民のために、箱根を登らねばならないのだ、と。

 四年間の彼の戦績を簡単にまとめるとこうなる。

 1年時 無名だった彼が八人抜きで鮮烈なデビュー、区間新記録・区間賞で東洋大初完全優勝にも貢献。
 2年時 前年を思い出させる七人抜きで往路および総合優勝に貢献、自身の前年の記録を凌ぐ区間新記録タイムで区間賞。
 3年時 箱根出場が危ぶまれたほどのスランプから復活、2位でスタートし早大を抜いて1位で往路ゴール。新記録更新はならなかったが、区間賞となり、往路優勝に貢献。しかし、総合優勝は僅か二十一秒差で早大に譲ることになる。
 4年時 前年の雪辱を果たすべくキャプテンとしてチームを率い、また故郷の被災に思いを馳せながら力走、再び区間新記録を更新、区間賞を取る。そして東洋大は三年ぶり二回めの完全優勝、しかも往路・復路ともに大会新記録という非のうちどころない勝利。

 どうであるか。この四回が、絵に描いたような「起承転結」をなしていることがお分かりであろう。
 彼のチームは地を這うように底力を蓄えてきていて、特に昨年度の惜敗から優勝奪還へ向けた東洋大の練習は、鬼気迫るものがあったという。天が与えたのは二十一秒という僅差、決して諦めきれるものではなかったからだろう。今回の勝利はその当然の結果ではある。
 しかし、そうであっても、こういう巡り合わせになるのは、運命の不思議さである。殊に、東日本大震災が起きた翌年(しかも辰年…竜の年だ)が福島県いわき出身である彼の最後の箱根となるなど、誰が図って演出できるものでもない。見えざる手の導きがあるようにしか思えない。
 しかも、今回初めて5区を1位でスタートしたのである。これまでのごぼう抜きの迫力はないにしても、だからといって歩みを緩めることもなく、むしろ他チームを気にせずにのびのびと、昇竜の勢いを自ら満喫しているようであった。そんな最上の舞台をも、チームと箱根の山は用意してくれた。
 わたしもまた、柏原君が走っている間、涙が止まらなかった。一年めのあの涙とは色の違うものであった。

 柏原君はこうして、これ以上はない有終の美を足跡として、箱根を去る。箱根の神の手を離れた彼が、この後いかなる走りを見せてくれるのかは、未知数である。本格的にマラソンに挑戦する、という話もある。駅伝とマラソンとではいろいろと違うだろうし、これまでの実績がどこまで通用するのか、不安視する声もあるようだ。
 しかし、彼の「もってる」何かを信じたい。新たな運命の手が、彼が地を蹴り相好を歪めて進もうとする道を、必ずや拓いてくれるだろう。これからの競技人生も、谷あり谷あり(山は苦にならないであろうから)の険しいものであろうが、今後も楽しい走りざまを見せてほしい。
 また、来年以降は駅伝中継のゲストに呼ばれたりもするのではないかと思う。あの甲高い声で解説するところはちょっと想像できないが、そんな場面も期待したいものである。 

 四度も快い風をわたしたちに送ってくれた柏原竜二君、本当にありがとう。

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