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2012年6月 6日 (水)

時代と科白

 時代考証とか方言指導とかいうと、テレビドラマに欠かせない要素であろう。
 わたしも仕事柄、そういうもの、とりわけ科白のことばに興味があるので、ドラマなどを観るときには注意を払っている。

 リアルな科白、というのは虚構が目指すところではあろうが、時代ものなどになると、難しいところがある。

 当時のリアルなことばで科白をしゃべらせて、時代の気分を出そうとする。ところが、本当にその当時の話し言葉でしゃべっては、何を言っているのか分からないおそれが大きい。ある程度、現代の視聴者にも聞き取れる表現にしなければならないのである。これは方言指導でも同じで、実際のその土地の話し言葉そのものを科白にしたのでは、他の地方の人には分からなくなる。だから、雰囲気を出す程度しかできない。

 大体において、何百年も前の時代に、実際どのように話されていたのかなど、見極めは難しい。
 時代のリアルな気分と理解しやすさ、このせめぎ合いの中でどのような科白かが決まるのである。「時代考証その他かなりいいかげんです」と宣言していたかつての『浮浪雲(はぐれぐも)』を元祖とするギャグ時代劇ならまだしも、通常の時代劇では神経を使うことだろう。
 『水戸黄門』のような娯楽作品であっても、八兵衛が「ご隠居、この旅籠はサービスがいいですねえ」と言った、などというのはあくまで都市伝説の類であり、実際にそのようなぬかりはない。
 さりとて、江戸時代の人々があのとおりに話していたのか、というのは疑問である。当時の戯作などを見れば分かる、と思われるかもしれないが、言文一致が確立する近代以前はあてにならない。

 近世はまだ、発音なども現代に近かっただろうから、まだよい。中古ともなると、旧仮名遣いに比較的忠実な発音だったはずだし、語彙も文法も現代とずれている。古典文芸作品に残っているのは、貴族やせいぜい武士の、それも虚構としてデフォルメされた会話であり、庶民の話し言葉など資料にも乏しい。
 今観ている『平清盛』などもそうで、「~ござりまする」などと文末には古い時代の雰囲気を入れてあるし、語彙面でも当時存在しなかった単語などは極力使わないよう留意されているようだが、そういうこと以外はほぼ現代日本語での科白と言っていい。『平家物語』の会話文のような文体では、古典文法のテキストと首っ引きでないと理解できなくなるだろう。
 もっとも、誰もその時代の会話を聞いていた人はいないから、違うぞ、と言われるおそれも少ない。

 却って、近代を描いたドラマの方が、現代語とのけじめがつきにくくて難しいのかもしれない。戦後間もなくの話など、その時代を知っている人が視聴者にもいるわけで、下手に中途半端な考証などしたら、クレームが来るのかもしれない。
 前季の朝ドラ『カーネーション』などは、その点かなり割り切っていた。近代の話でありながら、完全に「現代岸和田弁訳」がなされていたのである。
 ヒロインがなにかというと「はぁっ?」と訊き返したりするが、そういう返し方は、ここ十年ほどで出てきたものだろう。その他にも、「真逆(まぎゃく)」などといった当時存在したはずのない単語、「こんな気分、いつぶりやろ」と当時なかった用法、「~し」という文末、そして、当時の関西人があまり使わなかったと思われるラ抜き言葉なども、ばんばん出てくる。モチーフであるファッションの用語は、服飾史を反映した正確な表現にしてあるようではある。
 しかし、これはこれで徹底しているから、一つのやり方と言えよう。
 
 面白いと思ったのは、韓国ドラマである。欧米ものと違って、ある程度文化が共通し、顔だちも近い隣国であり、それの時代劇となると、どういう翻訳にするか、悩ましいところであろう。
 やはりいつも観ている『イ・サン』では、李氏朝鮮の朝廷が舞台である。これもまた苦心の翻訳がみられる。年代は日本の江戸時代相当だから、日本の時代劇における将軍家の場面などで使われそうなことば、西洋の王室を描くときのことばなどが適度にミックスされた感じである。そうやって、「数百年前の隣国の王朝」に対する距離感を演出しているのだろう。
 年老いた先代の王様の一人称は「余」、二人称は「そち」であり、「~なのじゃ」などと、いかにもといった語尾であった。これは典型的な役割語用法であろう。現王(イ・サン)その他の王族は「私」「そなた」と少し柔らかくなるが、女性であっても、下々の者に対しては「通せ」「坐るがよい」「~なのだ」などと偉そうにしゃべる。
 ただ、そういう所に「認知症」「脳梗塞」などという現代的な病名が入ってきたりすると、ちょっと違和感がある。こういう用語は、いろいろ難しい問題があって、昔風の言い方を使うのが憚られるのだろう。

 結局、これが最良というものがあるわけではなく、その作品のもつ雰囲気に合わせて方法論が選ばれるのだと思うが、その選択にどういう原理があるか、もう少し整理・分析できれば面白いと思う。 

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 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
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