« 神戸市電最期の日 下 | トップページ | 裏道を抜ける臨時特急下り「リゾート踊り子」 »

2012年8月16日 (木)

盆の同窓会 2012

 喜ばしいことに、麺類部のクラスの同窓会は、毎年盆に開催されるのが恒例となった。記事にはしていないが、昨年もあったのである。そして、今年も12日に昨年と同じ店で開かれ、招待を受けて出かけた。
 少しずつではあるが、皆大人になっていく。そして今年は修士課程に進んだ者も修了年度を迎えることとなり、今回が学生がいる最後の同窓会である。

 社会人・学生それぞれに責任ある仕事を任されるようになってきたためか、今年は昨年までよりも少々参加人数が少なかったが、それでも卒業時の人数の七割近くが出席しているのだから、組織率は高い方であろう。教員側も、もう一人の元担任もちゃんと参加している。

 何人もの卒業生に「痩せましたよねえ」と言われる。わたしが卒業生に対してそうであるように、卒業生たちも、卒業時点のわたしをイメージしているのであろう。彼らが卒業する時には、ちょうど指の手術の後で思うように動けず、家にこもって食べてばっかりいたから、最も太っていた。その時にくらべると、13㎏ほど痩せている。
 当然ながら、向かい合って坐ったわたしたち(元)担任の所へ、入れ代わり立ち代わり卒業生が来ては、挨拶をする。顔は全員分かるのだが、一瞬名前が出てこない者もいるが、もちろんそれはごまかす。

 恒例になった卒業生全員の近況報告も、人数が少なくなった分、短く済んだ。盆の開催が恒例になると、常に来られなくなる者もいる。例えば航空会社に就職した者などで、盆も正月もない、というか、むしろ書き入れ時であろう。そうかといって他の時期に開いたのでは参加者も減るだろうし、難しい。
 その後は、元担任のスピーチである。学校に残っているのはわたしだけになったので、高専の近況も報告しておく。今年度は環境都市棟に改修が入り、これで全学科の校舎がようやく新しくなる。それから、専攻科の来年度入学生にまだ余裕がある、定員割れを起こしては大変なので、社会人入学も検討してほしい、とお願いする。せっかく就職した先を簡単に辞めてほしくはないから、もとより冗談だが、いくぶん本音も交じっている。わたしは直接専攻科に関わっていないが、担当者の切実さはじんわり伝わってきている。

 座がほどけてくると、わたしの隣に腰を据えて話す卒業生も出てくる。これにそれぞれ数人がつきあう。

 漫画家を目指す卒業生は、作品をファイルしたものを持参して、批評せよ、と言う。豊橋エディションの時にわたしがシビアな批評を紙にびっしり書いた、あの卒業生である。読んでみたが、そんなにつっこんだことも言わず、面白かったよ、と言って返す。
 彼にしたらもの足らなかったようで、後で伝え聞いたところでは、わたしがおざなりの反応しか示さなかったので、却って気味が悪かった、とのことであった。しかしそれは無理だ。豊橋エディションでは彼が住むマンションでじっくりと読むことができたが、今回は酒席である。酔眼で雑音のなか読んだって、的確な批評などできるわけがない。それに照明も薄暗いし、わたしの眼も遠くなっているし、科白がほとんど読み取れなかったのである。

 専門学校を経てクルマの仕事にこの四月に就いたばかりの者は、いつの間にかわたしの隣に座を占め、もう仕事が嫌になった、辞めたい、と相談してきた。専攻科に入っていいか、と訊かれたが、彼はもう大卒相当の資格を持っているのだから、それは無意味である。
 それを、もっと早くから職に就いていた者が、三年頑張ってみよ、と諭す。わたしも同意見である。辛いからと逃げる癖をつけたら、どこへ行ってもやっていけないだろう。
 好きなことを仕事にする、というのは危険な面がある。クルマが好きなのではなく、クルマが好きな自分が好きだったことに気づいた、と彼は言う。それは分かる気がするし、なかなかの内省だと思う。
 しかし、いずれにしても、好きな分野に携われるのは幸運なことなのだ。他にやりたいことがあるならともかく、逃げて別の途に行ったとしても、また同じことを言わねばならなくなるだろう。
 ルーチンワークに倦んでいることも、よく伝わってくる。クルマの製造など、完全な分業だから、作る対象そのものに創造性を発揮することもできない。しかし、仕事の進め方、デザインのしかた、さらに経営的な視点からみたとき、創造性は重要な位置を占めてくるだろう。彼がそういうことに関われる部署に就く、もしくは自分の仕事を俯瞰的に見られるようになるには、まだ何年かの時間を要するはずだ。

 わたしが卒業時の学生会誌に書いた文章の意味が、今になって分かる、と言う卒業生がいる。何を書いたか忘れかけていたが、public(公)な精神の欠如がこのクラスの弱点である、という趣旨であった。その文章をファイルに挟んで、折に触れて読んでいる、というのだ。
 ああいう文章も、それほど大事に読んでくれるとあれば、いいかげんなことは書けないな、と思うが、こういう報告はもちろん嬉しくてしかたない。
 こういう同窓会を毎年組織できるようになったのだから、その弱点はかなり克服されているとみるのが妥当だろうし、そのように卒業してからもクラスが成長していき得る、というのがこの校種の特性ともいえよう。ただ、2年生時に教室の前に貼り出していた「公」の文字を揮毫した書道の達人である卒業生が、同窓会に一度も姿を見せていないのは、残念である。

 この店はわたしの家の近所でもあったので、よかったらこの後寄ってもらってもかまわない、豪華なもてなしはできないが、ちょっとしたつまみくらいならある、とスピーチの時に言っておいた。
 すると本当に五人の卒業生(麺類部を主体とする)が家にやって来て、未明まで語ったのであった。居酒屋ではムードが落ち着かないからできないような文学談議なども、ここに席を移せばできる。
 卒業して四年めになっても、同じ場所で卓を囲むと、麺類部現役当時と同じ雰囲気になる。これも懐かしく嬉しいことであった。 

|

« 神戸市電最期の日 下 | トップページ | 裏道を抜ける臨時特急下り「リゾート踊り子」 »

6.1  教師業」カテゴリの記事

9.4  つるつる麺類部」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/129332/55424925

この記事へのトラックバック一覧です: 盆の同窓会 2012:

« 神戸市電最期の日 下 | トップページ | 裏道を抜ける臨時特急下り「リゾート踊り子」 »