« 神戸市電最期の日 中 | トップページ | 高速線からの奈良行と阪神三宮駅線路切替 »

2012年8月 2日 (木)

懐メロを忌避しないわけ

 わたしが小学校6年から中学校3年まで四年間通った学習塾で、わたしは多くの歌を学んだ。さまざまなジャンルの歌を教わることができた。その一部は今でも愛唱歌であるし、歌詞の表現分析などというかたちで、授業や研究にもつながっている。
 といっても、音楽の授業が行われていたわけではない。ごく普通に英語や数学などを習っていただけであるが、これにはからくりがある。

 神戸を代表する学習塾の一つなのだが、そこは授業時間が60分から80分程度と、小中学生相手にしてはやや長かった。
 そこで気分転換に採り入れられていたのが歌である。あたりまえに先生の雑談が息抜きになることもあったが、この塾では、塾生全員に塾で編集した冊子である歌詞集が配布され、それを授業には必ず持参するよう、言われていたのだ。特に塾長の先生は、独奏用のアコーディオンを持っていて、これを授業に持ってきていた。若い先生のなかにはギターを持ってくる人もいた。楽器のできない先生はア・カペラである。
 授業が進度上一段落したところで、先生が、
「さあ、歌おうか」
 と言うと、皆は嬉々として歌詞集を取り出した。
 クラスが初めて歌う曲だと、先生がワンフレーズずつ歌い、わたしたちがついていって、覚えた。
 勉強で疲れた頭も、大きな声で歌うことで休養がとれたし、いろんなことが発散できた気がする。

 歌詞集は数年毎にしか改訂されないし、入塾時に渡されたものを卒業まで使う。それに、そもそも編集するのは先生方である。必然的に、歌詞集に最新ヒット曲などは載っていない。敢えてそう編集していたのだろう。当時トップアイドルの秀樹や百恵ちゃんはそこにいなかった。
 童謡にしても、「あの子はたあれ」「仲よし小道」など戦前の、つまり塾長先生などが親しんだようなものが載っていた。
 歌謡ヒット曲も、数年前くらいの曲ならまだ耳に馴染んでいるけれど、生まれる前の曲となるともうよく分からない。「長崎の鐘」「リンゴ追分」など、戦後すぐの曲がたくさん載っていた。フォークソングにしても、「学生街の喫茶店」「小さなスナック」などだ。わたしの世代にとっては、聞いたことくらいはあるにせよちょっと世代が違う曲だった。
 民謡は世代に関係ないが、そもそも小中学生がわざわざ歌うものではない。「デカンショ節」「北海盆唄」などを歌った。

 こうした塾でこういう歌を習って学んだことは、新しいもの、現在流行っているものがいいものとは限らない、ということだった。中学生にしてそれに気づかせてもらったことは、今思えば収穫だった。若いうちには陥りやすい、新しいものがカッコいいもの、という根拠のない短絡に足をとられずに済んだのだ。物事を、古いという理由だけで馬鹿にした眼で見る誤りにも、はまることがなかった。
 昔の曲にも、何か迫ってくるようなものを感じる場合がある。懐メロというかたちであれ何であれ、歌い継がれ親しまれつづけているというのは、何か人の心を捉えるものがあるのだろう、と漠然と思った。そして、塾でしか知らなかった歌謡曲を、懐メロ番組などでプロの歌手が歌っているのを聴き、嬉しくなった。
 塾を卒業してからも、親の世代の歌であってももいい歌はいい歌として受け入れている。親しみのないジャンルの曲でも、忌避したりしない。そういう態度の素地が培われた。他の記事にも書いた「あゝモンテンルパの夜は更けて」にすんなり感動したり、美空ひばりさんの歌の凄味に素直に圧倒されたりすることができたのである。

 ひいては、ものごとを予断なく虚心に評価する姿勢までもが身につき、その後の諸活動に活きている。
 中学生数十人の集団が大声で「人生劇場」や「五木の子守唄」を合唱している光景は、はたから見ればシュールかつ異様であったろうが、そういう所で育ったことを感謝している。 

|

« 神戸市電最期の日 中 | トップページ | 高速線からの奈良行と阪神三宮駅線路切替 »

7.2.1  歌謡」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/129332/55094837

この記事へのトラックバック一覧です: 懐メロを忌避しないわけ:

« 神戸市電最期の日 中 | トップページ | 高速線からの奈良行と阪神三宮駅線路切替 »