看板つっこみ(40)~ 基準混交
これは看板ではないが、電車の中吊り広告なので、まあ看板に準じると見なしていいだろう。
ぱっと見て違和感を覚えたのだが、最初何が変なのかわからなかった。JR自身が自社の電車内で出している広告だから、いい加減な表記はないだろう、という先入観もある。
でも、思い当たってみるとやっぱりおかしいのだ。
おわかりだろうか。
そう、二〇十三年 という表記である。
数字を漢字で表すときには二とおりの流儀があるのは周知のとおりだ。二〇一三 か 二千十三 かどちらかであろう。二つの流儀が交じってしまっている。
この二つの流儀には、一長一短があって、新聞や雑誌など、字数を節約したいという潜在的な欲求があるから、短くて済む方を選ぶことになる。
日本で活字文化が発展したのは十九世紀末以降であろう。四桁の年数にそれぞれ数字が入る時代が続いてきた。だから、千八百九十二年 などと書くよりも、一八九二年 の方が好都合だったのだろう、「年」の表記にはそちらが使われてきた。
二十一世紀に入ると、二〇〇一年 と書くよりも 二千一年 の方が字数を食わなくてよくなったのだが、もう慣例となって久しい流儀を今さら変えるのも混乱するし不便なので、前者が使われ続けている。
ただし、愛知万博の中で走った磁気式軌道システムの運営主体として国交省に登録された名称は、二千五年日本国際博覧会協会 という表記だった。これは察するに、鉄道会社の名称には漢字と仮名しか使えない、という制限があるからだろう。〇 は漢字ではないのである。
まさにこの「漢字ではない」怪しげな文字を使うことから、わたしはこの流儀を好まない。年を縦書きするときだけはしかたなく使うが、それ以外はまず使わない。
元号で表す場合は、平成二五年、平成二十五年、とどちらの表記も使われている。わたしは後者しか使わないが、どちらも間違いとはいえない。職場である国立学校の公式文書でも、両表記が混在している。
漢文に源流を求めても、二三年 と書かれていれば、「23年」ではなく、「2年か3年」という意味になる。
そういうこともあって、わたしは 〇 は使いたくないのだ。他人が使うのを止めようとまでは思わないけれど。
まあいずれにせよ、この 二〇十三年 が不自然なのは確かだ。何か意図があるのだろうか。
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