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2013年4月25日 (木)

言葉への偏屈なこだわり

 一応日本語の専門家ということになってるので、自分の使う日本語も注目されているのではないか、と自意識が過剰になってしまう。
 ことばなんて生ものなんであって、NHKのアナウンサーみたいに規範的な喋りを日常的にする必要は全くないことは分かっている。でも、変な崩し方をして、あの人日本語やってるくせにあんなこと知らないんだ、と思われたら癪だ。

 そういう、わたしが意識してこだわって喋っているような言葉を思いつくまま挙げてみよう。こだわったが故に、逆に言語の知識を疑われかねない事例も多い。

1.免れる
 これは、まぬがれる と訓む人が多いと思われる。しかし、恐らくこの語は「間+抜かれる」が語源だと思う。それだけに、まぬかれる と訓むのが本来なのである。
  が濁るのは、複合語の接ぎ目ではないので、連濁 とは言えないだろう。あるいはその変種なのかもしれないが、多分に発音の便宜によるものだろう。
 確か、中学校の時に国語の先生が正しい訓み方を教えてくれた気がする。それ以来、ことばにこだわる人間としては、そう訓まなきゃ、とずっと意識の奥で思っているのである。

2.三十回
 三十回、というのは一つの例であって、四十回 でもいいし、三十本 でも 三十周年 でもいいのだが、一応代表させておく。
 もうお分かりの方も多いと思うが、これは さんじゅっかい ではなく さんじっかい と訓むのが本来である。
 は、旧来の訓みが リフ で、これが現代仮名遣いの時代になると 音便リュウ(建立 など)もしくは リツ になった(国立 など)のだが、リュツ にはなっていない。シフ)が シュウ(執念 など)または シツ執事 など)になっても シュツ にはならない。ギフ)は ギュウ(牛肉 など)や ギツ牛車 など)にはなっても ギュツ にはならない。(ニ)は ニュウ(入学 など)や ニツ入集(=歌が歌集に採られること) など)にはなっても ニュツ にはならない。
 それらと同様に、ジフ)は ジュウジツ にはなっても ジュツ にはなれない。それが規範なのだ。さすがにNHKのアナウンサーはそう訓んでいるが、現実に さんじゅっかい と訓む人の方が圧倒的なので、これを間違いと退けることはもはやできないだろう。
 それでもわたしは頑迷に さんじっかい と訓み続ける。

3.綺羅星のごとし
 これは成語だが、「綺羅(美しい衣服)が星のように華やかだ」という意味なので、きら・ほしのごとし と区切って訓むことになる。一般には きらぼしのごとし連濁 させて訓むことが多いが、厳密には誤りである。
 綺羅 が擬態語の キラ(キラ)と同じ発音で、「きらきら星(ぼし)」なんて歌もあることから誘発される変容なのだろうが、これもわたしはこだわって区切って訓む。
 こういう「区切りどころの誤用」は他にも、間髪を入れず がある。「間に髪の毛も入らないほどすぐに」の意なので、かん・はつをいれず と区切るのが本来である。かんぱつ などと 連濁 するのはおかしいのだが、そう訓む人の方が多いし、今も かんぱつ で 間髪 に変換できてしまったのは、忌ま忌ましいことだ。
 わたしは本来の訓み方に拘泥する。

 
4.茶道
 わたしは大抵の場合、ちゃどう と訓む。すると、国語の先生の癖にこんな常識も知らないのか、と怪訝な目で見られることがある。さどう が正しくて ちゃどう が誤り、と一般に思われているのだろう。前者の方が の字の古風で凝った読み方という印象なので、ともすれば後者は間が抜けた訓みに聞こえてしまう。学校の茶道部も、さどうぶ と呼ばれることが多いようだ。が、実際はむしろ さどう の方が、近代になって流布した訓みである。
 さどう と訓むのは基本的に表千家だけである。裏千家その他数多の流派は ちゃどう であり、従って茶の道一般を指すのであれば、ちゃどう が妥当であろう。もちろん、話が明らかに表千家に限定されている場合は、わたしも さどう と訓むけれど、そんな文脈は稀である。
 こういう微妙な訓みわけには、悩むことも多い。礼拝れいはいらいはい)とか、追従ついじゅうついしょう)などがそういう例である。どうかするとこっちが訓み間違いをしていると誤解されそうな同字異音には、神経を使う。

 
5.義捐
 わたしは 義援金 という表記は絶対に使わない。義捐義援 と書き換えたとたんに偽善のにおいが漂いはじめるようにわたしには思えてしまう。 すてる とか なげうつ とかいう意味の字であり、これこそがボランティアの精神をよくあらわしている。(たす)ける なんておこがましいではないか。 に書き換えるくらいなら仮名で書いた方がましだと思う。
 とはいえ、代用字には、あまりこだわりすぎると、文章を書けなくなってしまう。当用漢字時代の教育を受けた以上、戦前の由緒正しい漢字の用法までは、わたしだって精通していないからである。どうももどかしい。
 しかし、あまりに納得しがたい代用字は、できれば使いたくないのだ。         

 
6.一所懸命
 ここぞと思う一つの所に命を懸けるのが いっしょけんめい である。誤記がいつしか正しくなってしまった例である。
 一生命を懸けつづけるなんて、しんどくてわたしにはできない。

 
 こういう偏屈な例はまだまだあって、自分の狭量を象徴しているようだが、ことばに拠って生きている以上、ことばにこだわることは止められない。

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 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
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 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

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5.0ことば」カテゴリの記事

コメント

勧告という言葉は、マイナスイメージが強かっただけに、今日のニュース「富士山世界文化遺産登録勧告」を聞く度、違和感がありました。勉強不足も感じました。

投稿: KAZUKO | 2013年5月 1日 (水) 22時11分

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