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2013年5月 9日 (木)

『純と愛』から『あまちゃん』 大きすぎる飛躍

 『純と愛』の本編放送が終了して一カ月が経ち、朝ドラ恒例となった感のあるスピンオフドラマ、そして総集編も放送された。おそらくもう世界観を共有する作品は出ないだろうから、安心して批評もできるというものである。

 もちろんわたしのことだから、全ての朝ドラ、否、テレビドラマは、『ちりとてちん』を一つの基準として評価するわけだが、この『純と愛』は、BK制作でありながら、全くといっていいほど『ちりとてちん』の匂いを残してはいなかった。
 強いて共通点を探せば、一つだけある。

 それは、従来の朝ドラの類型を壊す、という意図をもって脚本が書かれていたことである。もっとも、『ちりとてちん』は、従来の類型によりかかることをやめた分、独自の確固たる構想が組み立てられていた。しかるに、『純と愛』にはそれがなかった。要するに、壊しっぱなしなのである。
 もちろん、予定調和を否定してリアリティを追求するのは一つの見識である。しかし、ただ単に視聴者の期待を裏切り続けるためだけに展開が設定されていたのではないか、というくらいに破綻の度合いが大きいストーリーであった。
 (いとし) が他人の「本性」が見えてしまう特殊能力の持主である、という掟破りの設定(そんなSF的な設定をするのなら、作品世界全体にそういう「約束事」が漲っていないといけないはずである)があったが、彼の家族も何らかのかたちで同様の能力をもち、それに悩んでいた。
  の能力は、 と幸福な結婚生活を送るうちにだんだん消えていくかにみえたが、完全に消えたのか、また幸福だから消えたのか、よく分からないうちに、 は脳腫瘍に倒れ、意識を失ったまま最終回を迎えてしまい、うやむやである。まして、家族らの能力については、消えたのかどうかも分からないし、意味など皆目分からない。この扱いも反則であろう。
  を襲ったかずかずの不幸、関わったのべ四つのホテル全てが深刻なダメージを受け、人手に渡ったり営業不能に陥ってしまうこと、姑との確執、父の頓死、母の認知症、夫が意識不明のまま目覚めない…、兄弟の不始末まで入れるともっと増えるが、解決に至らなかったものも多い。
 努力が奏功するとは限らず問題がすっきり解決するとは限らないのが現実だから、解決しないこと自体はリアルであり、虚構へのアンチテーゼと言えよう。しかし、一人の人間にこれだけの不幸が重なるのは、確率論的にもまずないことだろう。筒井康隆氏の「虚人たち」のように、非日常の事態のあり得ない重複を描くことで独自の作品世界を創出する、というならいいのだが、それなら作品世界全体にシュールさのヴェールが被さっているべきであろう。しかし、『純と愛』にはそれもなかった。
 ただ、わたしは落胆したわけではない。上記のようなことはそもそも期待できない、と当初から悲観的であった。なぜなら、この脚本を書いたのはあの『家政婦のミタ』の人だからである。同作がお世辞にも趣味のいい作品とは思えず(だからわたしは観ていなかったが、漏れ聞こえる粗筋や批評からだけでもそうと分かる)、これの年間視聴率が『仁 -JIN-』を抜いてトップになったこの国のテレビ文化のありように、暗澹たる気持ちになっていたところであった。

 それならなぜほぼ毎日欠かさずに観たのか、と言えば、 役の風間俊介さんの演技を見たい、というそれだけの理由なのである。これまでの出演作でも、まさに非現実的な世界や役柄を、独自に料理して視聴者を納得させてきた風間さんである。もちろんこのという理不尽な役も、きちんとこなしてくれた。
 これだけは期待どおりであったから、わたしはストーリーについて考えることは放棄して、風間さんだけを観てきた。それも、最終週の風間さんは眠り続けるだけだったので、もの足らなかったのだが。

 

 そして始まった『あまちゃん』の主人公 天野アキ は、朝ドラヒロインの王道をいくような可愛らしさとけなげさをもっていながら、生まれ故郷である東京の高校では全くぱっとしない存在であったのが北三陸で海女の世界に出会って自分を出せるようになる、という点では、AK朝ドラであるのに『ちりとてちん』の構想を引き継いでくれている。
 オープニングの軽快なインストルメンタル、そして列車がぐんぐん走っていく映像は、まさに朝から視聴者に元気をくれるものである。
 Web上に動画を公開するだけで忽ちオタクが押し寄せて アキユイ がアイドルになってしまったりする安易さはちょっと解せないのだが、そこは笑っていればいいのだろうか。
 オタクという呼び名は蔑称なので鉄道ファンと呼ぶべきだ、などということも教育してくれる番組で、微笑ましい。
 『純と愛』と正反対とも言える朗らかな世界観には、今後も期待できるが、それでいて、アキ が母親の部屋にあった昔の舘ひろしのレコードに感動する、というような前作へのオマージュもあったりして、なかなかそつがない。
 これまでの朝ドラと異なるユルさというと、主人公の名字がある。両親の離婚がまだ成立していないのだから、アキ の戸籍上の姓は父方の 黒川 のはずなのだが、母親が地元でそう名乗っているから、という理由だけで 天野 という母の旧姓でクレジットされている。従来は、かなりくだけた作品であっても、ヒロインの姓は結婚した(それも婚姻届を出した)日から表示が替わる、という正確さを見せていた朝ドラなのだが。
 いい意味での新しさを湛えつつ展開していく『あまちゃん』の今後に期待したい。

(その後の展開を踏まえて『ちりとてちん』と比較した考察はこちらの記事で)

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