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2013年5月23日 (木)

社会へのワンクッション

 子ども(児童・生徒)を学校から街へとび出させて「探検」させることをもって授業とするようなことには、わたしはかなり慎重な立場である。
 地域をあげての協力がかなり確実に得られるのでもないかぎり、やらない方がよいと思う。学校でやるべき部分のしつけを地域に圧しつけることになりかねないのだ。

 職業体験のように、事業所が納得ずくで(と言っても実際はかなり拝みたおして無理やり引き受けてもらったりする場合も多いのだろうが)一定期間生徒を預かってくれる、というものなら、意義は深いと思う。
 しかし、とにかく何でも体験させるのが第一、ということで、事前教育もろくにやらないで実社会に連れ出すのは、安易だとわたしは思う。

 例えば、歌舞伎とか能とかクラシック音楽とか、ほっとくと子どもが観に行かないであろう文化的所産の鑑賞を体験させる、というのは、趣旨としてはよい。
 しかし、それらにはそれぞれ、相応の鑑賞マナーが存在する。暗黙の約束事もある。そういうことを学校としてきちんと教えもせずに、いきなり実地の場に連れて行ってもしかたない。ばかりか、迷惑をまき散らすだけである。

 わたしが高校生のとき、クラシック音楽鑑賞を体験する行事があった。
 ただしそれは、あくまで「聴きかた」を学ぶためのものであって、模擬的なコンサートに参加させる、という形態であった。呼んだのは第一線の演奏者ではなく、地元の大学のオーケストラだったし、会場は学校の体育館である。
 事前に聴くときのマナーが説明されたし、当日は音楽の先生が進行役を務め、曲(とその「聞きどころ」)の解説はもちろん、マナーも実地に指導してくれた。それは妥当なやり方だったと思う。
 基本を知ることもなく、いきなり一流の演者の出演するコンサートに連れて行かれていたら、えらいことになっていただろう。居合わせた一般の聴衆が、災難だと感じるような。

 わたしが、迷惑を被る側に立ったこともある。
 現在の地元では、完全なクルマ社会なので、子どものなかには、ろくにバスや電車に乗ったことのない者もいる。だから、それを生活科とか総合学習とかで「体験」させるのである。事前教育がなされているかどうかは、一駅一緒に過ごせば瞭然とする。
 バスに乗ってみると、子どもたちだけで全部の席を占め、行ったり来たりするから、途中から乗った者が坐れる所がなかったりする。気を遣って先生が、
「こちらへどうぞ」
 と席を譲ってくれたりするが、そうではないだろう。余分の席を取らないよう、子どもたちに促さないでどうするのだ。
 それでもそうする先生はまだましな方だ。先生も知らん顔で坐ったままであることもある。貸切バスのごとく子どもたちが騒いでいてもである。これでは教育にならない。というより、先生も乗り慣れていないのだろう。

 さらに腹立たしいことに、わたしが降車ボタンを押して前扉に向かうと、先生が、
「はーいみんな、降りる人がいますよ、前を見て」
 などと呼びかけたりする。わたしは教材になるためにバスに乗っているのではない。
「降りる人は、どうするんだった?」
「両替をして、お金を払って、降りまーす」
「はい、そうですね。今からこの人がしますから、見ておきましょう」
 教材どころか、これでは猿回しの猿ではないか。小学校の先生は一応同業者の範疇に入るけれど、これでは協力する気にはとてもならない。
 子どもたちが注視する中、すっかり不快になったわたしは、意地悪く回数券を投入して降りた。

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