6.0教育・研究

2015年2月27日 (金)

相対的にパソコンとつきあう

 パソコンやネットワークは、秒進分歩の技術発展があるので、職場でも、いろいろ設定を替えたり普段と違うところにアクセスしたり、ということが多い。 
 そういうことをやっていると、パソコンと付き合い始めたころのことを思い出したりする。 

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2014年9月30日 (火)

五百年後の「古典」のテスト問題

 久しぶりにちょっとシュールな記事を書く。

 先日、ラジオで「五百年後の日本語がどうなっているか」ということを話題にのぼらせたのだが、そこから派生して、五百年後の学生は、国語(という科目名でもなくなっていそうだが)で、どのような古典の勉強をするのだろう、という疑問も頭をもたげた。
 現代の日本語も、五百年後の学生にとっては古典語ということになるから、理解に苦労するのであろう。

 そこでここでは、五百年後の古典のテストを想定して作ってみた。
 設問の文などは、未来の日本語を想定して書かねばならない。ここは、一応専門的な立場から、こんな感じになるだろう、という予測のもと、創作してみた。文法(用言の活用など)や語彙はどんどん変化すると思うので、ここ五百~千年くらいの変化をさらに推し進めるようなかたちで想定する。主語~修飾語~述語 というような語順などは、そんなに変化しないと思う。

 まあ、平安時代の人からみたら、わたしたちのやっている古典のテストなども、これくらいハズしているのではないか、と思っている。

 では、どうぞ。

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2012年7月 7日 (土)

日本語力を測る難しさ

 国語教員をやっていると、教科書や副読本に加え、近年は日本語に関するコンテストや検定試験の案内が数多く届くようになった。
 なかでも、検定試験の種類は、よくこれだけと思うほど多数あり、他との差別化を図るためでもあろう、個性的なものが多い。
 本当の国語力を図るには、従来のような国語の試験では不十分、ということから、日本語学者はもとより、心理学や論理学やいろんな分野の学者を抱き込んで、問題を作っているようだ。

 そんななか、有名な通信教育の会社がやっている検定試験のサンプル問題を見てみると、文章読解問題がかなりエキセントリックである。

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2011年6月26日 (日)

『日本語は論理的である』のみごとさ

 本来こういう本は日本語学者が書かないといけないと思うのだが、反面、これは日本語学研究史を外側から冷静かつ公平にみつめてこそできる考察でもあろうから、やはり他領域の研究者にしか書けないのかな、と思う。
 【送料無料】日本語は論理的である (左リンクは、「楽天ブックス」の該当書ページにつながっています。購入もできます)を著した月本洋氏は、人工知能を専門に研究する工学博士である。

 えてして、他領域の研究者による日本語学の論述というのは、日本語以前にことばというものの基本をはずしていたり、日本語学界でも主流派でこそないものの何十年も前から主張されているようなことを、そうとは知らずに、さも大発見のように誇らしく(つまり、日本語の専門家がなんでこんなことに気づかないのか、という厭味を込めて)述べてみたり、というどうしようもないものが少なくない。
 しかし、この本は違う。考察が深く鋭く、先学もよく調べ踏まえられ、それでいて独自の視点をしっかりともって書かれている。他領域の研究者であることが、先入観を捨象するというかたちでいい方に作用している。わたしも勉強になった。

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2010年10月11日 (月)

研究書としての『「いい文章」ってなんだ?』

 『「いい文章」ってなんだ?』(石川巧 2010 ちくま新書)という本は、新書判であることや、帯に書かれた「試験に受かる文章の秘密を探る!」というような惹句から、受験生向けのノウハウ本かとわたしは思っていた。
 それでも、商売に関係する内容なので、一応目を通しておこう、と思って買ったのだが、期待をいい方に裏切られた。かなりしっかりした研究書なのである。

 教科教育は、それが本質でないと分かっていながら、どうしても受験の影響から逃れ得ない。学校での作文指導も、大学受験の小論文入試から逆算される傾向がある。その小論文入試の概史が、豊富な資料とともに整理されているのである。
 これは、作文指導に携わる者にとって、貴重な書と言える。そして、小論文入試の歴史が意外に旧いことに驚かされる。 

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2009年12月 5日 (土)

科学研究仕分け批判の違和感

 ノーベル賞受賞者も共同声明を出して、事業仕分けによる科学研究関連予算の削減について、批判している。その批判の主旨については、研究の世界の末席にいるわたしも、基本的に賛同するところである。

 しかし、この共同声明自体について、何か違和感をもたざるを得なかった。その違和感がなにものであるかを内省してみた。
 

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2009年6月 7日 (日)

ひとまず安心しようよ

 大阪・兵庫両府県が「汚染拡大地域」扱いから外れたのはやっと先週である。「汚染拡大地域」という用語もなかなかのものだが、それまでは、両府県には不用不急の旅行を避けるように、もしやむを得ず旅行した場合は、一週間自宅待機して健康状態をチェックするように、というお達しが出ていた。
 関西以外では、こういう対応をとっている所も多いのであろう。

 新型インフルエンザの正体も不明だった初期はまあ用心深くするにこしたことはなかったのは分かる。感染者が出た学校に、心ない中傷を寄せる人がいたので、特に学校が敏感になるのも分かる。が、もう通常に戻してもいいのではないか、という気がする。

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2009年6月 3日 (水)

『国語年鑑』の刊行が終了

 こういう刊行物が、他の学問領域であるのかないのか、既にWebに移行したのか、詳しいことは知らないが、日本語学界の年間の歩みをまとめた年鑑が、『国語年鑑』(国立国語研究所・編 大日本図書)である。
 これが、とうとう刊行を終了することになった、と通知が来た。なかなか感慨深い。

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2009年5月21日 (木)

日本語学会春季大会は中止 

 2009年5月30・31日の両日に、武庫川女子大学(兵庫県西宮市)において開催予定の、日本語学会2009年度春季大会は、中止が決定されたとのことです。

 同大会には、面白そうなテーマの発表も予定されており、わたしも出席しようと思っていたのですが、残念なことです。
 大会の中止は前身(改称前)である国語学会時代を通じて初めてのことだそうで、中止の理由はご賢察どおりです。

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2009年5月16日 (土)

博士の不可解な事情

 これは、時代の違いなのか領域の違いなのか、その両方なのか、定かでないけれど、いずれにしてもわたしにはよく分からんニュースである。

 『毎日jp』「東北大:院生自殺「指導に重大過失」 准教授、博士論文を連続不受理」
  http://mainichi.jp/life/edu/news/20090514ddm041040005000c.html 

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